2025年9月5日金曜日

2025年8月31日

 2025年8月31日 聖霊降臨節第13主日礼拝説教要旨

「暗きの力には負けない」 小笠原純牧師

  マタイによる福音書 12:43-50節

 森まゆみの『暗い時代の人々』(朝日文庫)は、戦争中に「精神の自由」を掲げて戦った9名の人々について書かれてあります。その中の一人が大正ロマンを代表する画家竹久夢二です。関東大震災では自警団による朝鮮人や外国人に対する虐殺が行われました。竹久夢二は「自警団遊び」の子どもたちの姿を描きながら、自警団をつくって外国人を竹槍で突く人たち、またその風潮を批判しています。(『東京災難画信』)

 人はなかなか悔い改めることができないものです。イエスさまの教えを聞いて、一度は悔い改めるわけです。しかしそう長く続くこともなく、「まあいいか。神さまはやさしいから少々悪いことをしても許してくださるに違いない」というような思いになり、いいかげんになってしまいます。そして以前よりも悪い人間になってしまうということがあります。これを汚れた霊の側から見ると、イエスさまの譬えのようになるわけです。汚れた霊はイエスさまによって追い出されて、いろいろなところを一時期さまようけれども、また帰ってみると住みやすい人間になっていて、「これはいい」ということで、仲間の汚れた霊を連れてきて、その人の中に住み込むというわけです。

 それでも、少しでも神さまの御心に適った者でありたいと思うのも、私たちです。なるべく神さまの御心に適った生き方をしたい。神さまの御心に適うことができないにしても、神さまから残念に思われるような生き方はしないようにしたい。少しは神さまから「あなた、いいね」といわれる生き方をしたい。そのように思います。

 イエスさまの弟子たちがそうであったように、私たちはそんなに勇敢な人間でもないですし、なにかあると逃げ出してしまいそうになる弱さをもっています。それでもこころの中に、「暗きの力に負けない」という気持ちをもっていたいと思います。神さまの御心を行う人でありたいという気持ちをもっていたいと思います。私たちのプロテスタント教会の始まりである、宗教改革者のマルティン・ルターもまた「暗きの力に負けない」という気持ちをもって歩んだ人でした。讃美歌21-377番「神はわが砦」は、マルティン・ルターがつくった讃美歌です。

 私たちは弱い者でからこそ、神さまにたよって歩んでいきたいと思います。神さまが私たちの砦であり、神さまが私たちの盾であることを、こころのなかにおいて歩んでいきたいと思います。


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