2025年11月30日 待降節第1主日礼拝説教要旨
「もういくつねるとクリスマス?」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 13:21-37節
今日からアドヴェントに入ります。アドヴェントに終末の聖書の箇所が読まれるというのは、アドヴェントが「来臨」という意味で「イエスさまが来られる」ということだからです。イエスさまが来られるというのは、ひとつにはイエスさまがお生まれになられるということです。そしてもうひとつは、イエスさまが世の終わりの時に来られるということです。
ですからアドヴェントのときは、私たちにとっていったい何が大切なことであるのかということを心に留めるときであるのです。私たちは日常生活のなかで、いろいろなことに心を煩わせます。いろいろと考えなければならないことがたくさんあるわけです。「あれも必要だし、これも必要だ」「これもしなくてはならない。あれもしなくてはならない」。なんとなく続く日常生活のなかで、本当に大切なものは何だろうかと、手を休めて考えてみるときなのです。
クリスマス時期になると、本屋さんによく並べられている本の中に、トルーマン・カポーティの『あるクリスマス』(文藝春秋)という本があります。カポーティが小さいこと、一度だけお父さんと過したクリスマスについて書かれてあります。カポーティのお父さんは女の人からお金を巻き上げて、生活をしていました。ろくでもない人であったわけですが、しかし彼はカポーティが送った葉書を、生涯、大切にしまっていました。カポーティのお父さんにとって大切なものは、自分の息子であるカポーティであったのでしょう。しかし彼はカポーティを大切にするような生き方をしませんでした。
アドヴェントは落ち着いて、自分にとって何が大切なのだろうかと考えてみましょう。そしてできれば、自分が大切だと思うことを、大切にする生き方へと変わっていくことができればと思います。しかしカポーティのお父さんのように、そんなふうに生きることができないかも知れません。ただ、そんな弱さを抱える人間のために、主イエス・キリストをこの世にやってこらました。だめな私たちの光となるために、愚かな私たちを救ってくださるために、主イエス・キリストは私たちの世にやってきてくださいました。だからこそ、私たちはイエスさまのことが大切でたまらないのです。
アドベントは私たちの大切なイエスさまを待ち望みながら過ごすときです。私たちを救うためにきてくださるイエスさまを待ち望みながら、クリスマスの準備をいたしましょう。