2026年2月22日 受難節第1主日礼拝説教要旨
「道を外れることなく栄える」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 1:12-15節
石田梅岩は江戸時代中期の日本の思想家です。「人の本当の価値は、生まれや財産、学歴ではなく、その心根の誠実さにある」と説く彼の言葉は、多くの庶民の心をとらえました。石田梅岩は「道徳と経済は両立するものであり、道徳がなければ経済は発展することはないのだ」と言いました。現代の私たちの世の中は、そうした道徳的なあり方が失われ、「法律に書かれていないのであれば、何をしてもかまわないのだ」というようなあり方が広がっています。石田梅岩はひとのこころの中にあるあさましい思いが、社会を経済的に豊かにするのを妨げていると考えています。道に外れたことをしているから貧しくなっていく。「道を外れることなく栄える」という道筋を整えることが大切だと言うのです。
私たちの世の中は誘惑の多い世の中です。サタンの誘惑にさらされています。ですから聖書の中で、イエスさまがサタンの誘惑にあわれた話が出てきます。聖書は、イエスさまはサタンから誘惑を受けられ、そして「その間、野獣と一緒におられた」と記されています。誘惑の多い、何をしてもかまわないという世界は、野獣の世界です。イエスさまはサタンの誘惑にあわれたとき、野獣と一緒におられました。しかし聖書はそのあと、「天使が仕えていた」と記しています。「野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」。
聖書は野獣の世界に思える世界にあっても、イエスさまがおられる世界は天使が仕えているのだと記しています。イエスさまの時代の人々は自信を失い、不安になりました。どのように生きていけばよいのか、そのことに自信をもてなくなりました。自分勝手に生きたらよいのではないか。みんなそんな感じで生きている。野獣のように生きたらよいのではないのか。そんなとき、イエスさまは人々に神さまの愛のうちに生きていくことの幸いを伝えました。神さまの愛に根ざして生き方をして、愛に満ちた世界のなかで生きていく。神さまに対して恥ずかしくない生き方を求めていく。こそこそと生きていくのではなく、神さまの祝福のもと、胸をはって生きていく。神さまに依り頼んで生きていく。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。こそこそと良心がとがめるようなことをしている人たちの世界は終わり、神さまの愛と義と平和に満ちた世界がやってくる。私たちにはそうした世界に生きていく幸いがそなえられている。悔い改めて、神さまを信じて歩んでいきなさい。イエスさまはそのように呼びかけられ、私たちを招いておられます。
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