2016年11月15日火曜日

2016年10月30日

2016年10月30日 主日礼拝説教要旨
  「神を愛し、人を愛しなさい」宇野稔牧師
  (マルコによる福音書12章28〜34節)

 このテーマは教会の使命であります。平安教会ではバザーの週であり、使命を果たすために皆が祈りと共に励むのです。
 一人の律法学者が「最も大切な教えは何か」と尋ねた時、イエスは「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と答え、そして、「隣人を自分のように愛しなさい」と語られたのです。それに対して律法学者は「先生、おっしゃる通りです」と同意し、「あなたは神の国から遠くない」という言葉をもらっています。
 ここで考えさせられるのが、有限な存在である人間が永遠の存在である神を愛することが可能かどうかという点です。それは我々が「神を愛す」瞬間を生きる時があります。それを永遠の生命と呼ぶのだと思うのです。つまり、限りある人間が神との協働の中で神の永遠の生命の一部となるのです。その最も象徴的な行為が礼拝です。ロマ書12章1節でパウロが語っています。私たちのために生命をささげて下さったイエス・キリストのために私たちが自分をささげること、それが礼拝です。平安教会は140年の歴史を与えられています。これまで以上に自覚的に確実に「希望」をもって使命に生きるのです。
 さらにイエスの言葉は、「教会は礼拝さえ守ればよい」のではありません。神を愛すると同時に人を愛する事を求めておられます。これを解説したのがサマリア人の喩えです。そして最後に「誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」。答えはサマリア人です。
 隣人を愛することの根源は、相手の痛みに共感することです。同じように痛むことです。これこそ今日の教会の使命であると同寺に宣教の使命です。即ち、使命はどちらかだけになってしまっては教会の本質的な生命を失ってしまうのです。34節に「あなたは神の国から遠くなり」と律法学者に云われた意味は、知識として納得するのと神の国にはいるということは関係がないと示されたのです。神の国は知識の問題でなく、そこに入らなければならない。イエスが一つの決断を促された言葉です。

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