2017年10月30日月曜日

2017年10月15日

2017年10月15日 礼拝説教要旨
「神と共に歩むヨブ」 山下毅伝道師
ヨブ記 19:23~27節
  人生には、苦しみ、悲しみ、痛み、災いに満ちています。神がお創りになったこの世の中に、これらの苦しみがあるのは、一体どうしてと、問うことが、私たちの生活に満ちています。ヨブ記の主人公、ヨブは正しい人です。だが、ヨブは息子娘たち、使用人達を失い禍に見舞われたあげく、ひどい皮膚病になります。しかし「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」「わたしたちは、神から幸福をいただいたから、不幸もいただこうではないか」と語りますが、ヨブはやがて口を開き「自分の生まれた日を呪った」と突然語り出します。その徹底さ、強烈さに圧倒されます。ここに3人の友人が来てヨブを慰めますが、皆、四つの観点から、ヨブを攻めます「ヨブは何か過去に悪いことをしたから、その報いがおこった」「ヨブは善人ではなく、悪人だから神が滅ぼされるのだ」「神によるヨブへの懲罰である」「ヨブは被造者として、罪をおかした」と語ります。しかし、ヨブはそれらの言葉をしりぞけ、神に逆らいつつ神に期待します。生の土壇場において、ヨブは肉体の限界状況の中で、彼を贖い出す、神に期待します。「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ ついに塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも この身をもってわたしは神を仰ぎみるであろう」と、苦しみのなかでなおヨブは神を求めます。最後にヨブに対して神は声をかけられ、大変な苦難の中でも神を信頼し続けるヨブを肯定し、3人の友のために執り成しの祈りと、父なる神に対する全幅の信頼から来る祈りを聞かれた父なる神は、ヨブを祝福されます。
 神を信じ、イエスを信じている人であっても、「こんな苦しみがなぜ?」という問いへの答えは持っていません、しかし、信頼を持って苦しみに立ち向かうことはできます。かえってイエスの苦しみにあずかるように、選ばれたことを喜ぶことさえできます。

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