2017年12月11日月曜日

2017年11月26日

2017年11月26日 降誕前第5主日 収穫感謝日合同礼拝説教要旨
「悪い土にも」 桝田翔希伝道師
マルコによる福音書 4:1~9節

 平安教会にきて、農園部の活動に参加させていただき、はじめて畑というものに関わりましたが、思っていたよりも大変なものでありました。なぜ大変と感じたかというと、畑の土が非常に硬いのです。粘土質で非常に土が硬いのです。雨の降らない日が続くと土は水分を失い、カチカチに硬くなってしまいます。こんな土で野菜が育つのかなぁと思っていたのですが、そんな土でもしっかり世話してやると、大きな実りが与えられることを教えられました。さて今回の聖書箇所では種蒔きを通した話が紹介されています。良い土地に蒔かれた種は多くの実りが与えられるが、悪い土地に蒔かれた種はあまり実りをもたらさなかったことが語られています。
イエスが生きた時代、田舎の土地は都会の大金持ちに支配され始めていました。自分たちが働いた分だけ生きるという生活ではなく、働いた分以上の収入を得る人たちが現れ、一方では不当な商売に巻き込まれる人たちが多くいたようです。そのような社会にあってイエスは田舎で生き、多くの貧しい農民たちと過ごしていたことが考えられます。この話が語られた背景には、良い土地に種をまきたいけれども、金持ちの地主や借金のせいで、悪い土地にしか自分たちの食べるための種をまくことが出来なかった人たちの生活があるのではないでしょうか。イエスは悪い土地からでも与えられる恵みも語っていたのかもしれません。
 私たち自身を神のみ言葉を聞く畑であると考えますと、自分自身に貧しい気持ちを覚え、貧しい畑のように思える時も多いのではないでしょうか。しかし決して良い土とは言えない私たちであっても雨が降り、陽が注がれるなかで実を結ぶのです。実を結ぶまでには、様々な手入れが必要かもしれません。しかし、あきらめずに耕し続けることが大切なのではないでしょうか。作物も、私たちの良い心も、全て神が与えて下さるのです。

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