2017年12月3日 待降節第1主日礼拝 説教要旨
「光の中を歩もう」 宇野稔牧師
イザヤ書 2:1~5節
今日のイザヤの言葉は、
それまでのイスラエル民族は自分たちにはヤハウェという神がいて
、その神は自分たちを守ってくれると信じて来たのです。
ところが今彼らが見ているものは選民であるはずのイスラエル民族
が滅び、歴史から消し去られてしまうという事実なのです。
南ユダ王国の人々は、
大国の圧力に怯える日々を過ごしていたに違いありません。
その時イザヤは、終わりの日が来ることを語りだしたのです。
終わりの日が来るということは、今が終わりの時ではないのです。
終わりの日を定められるのは神のみであって、
我々は苦難に会うかもしれないけれど、滅ぼされるのではない。
この時を生き延びて、やがて主の定めた終わりの日を迎えるのだ、
と預言したのです。終わりの日は救いの完成の日なのです。
国々はこぞって主の神殿の山に来て神を礼拝することを意味してい
ます。今は迫害している民も、
やがてイスラエルが礼拝する神こそが礼拝に値する神であるという
ことを知るのです。そして彼らも主の道を歩み始めるのです。
終わりの日が来たら平和が訪れるのです。
戦いのために備えることもありません。すべての人が剣を鋤に、
槍を鎌に変え戦いの道具を耕すための道具に変えるのです。
人間は奪う存在から育てる存在に変わり、
独り占めに固執する存在から分かち合い、
共に食する存在へと変わるのです。
私たちが終わりの日があるということを知っているのは、
素晴らしいことなのです。
終わりの日にすべての人間を救うと神は意図しています。
それは神が愛をもって導いていることを知っており、
私たちは光の中にいるのです。
イザヤは闇の中にいると感じていたイスラエルの人に向かって「
あなたは恐れてはなりません、光の中にいるのです」と語ります。
主の光の中を歩もう。
たとえ悲しみや苦しみの中にいると感じても真っ暗闇の中にいるわ
けではありません。主の光は私たちの闇の中に輝いているのです。
イエスはそのために来て下さいます。
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