2018年4月9日月曜日

2018年3月25日

2018年3月25日 棕梠の主日礼拝説教要旨(宇野牧師最終)
  「神とみ言葉にあなたがたをゆだねます。」 宇野稔牧師
  使徒言行録 20:17~35節

 3年間の勤めを終えるにあたり皆さまとの最終礼拝及び、受難週初日の礼拝に臨んでいます。「季節の風」春号と併せて受け止めてください。
パウロはユダヤ人中心のエルサレムの教会から疎まれながら命がけで地中海全体に教会を創ってユダヤ人以外にもイエス・キリストを宣べ伝えたのでした。そう云うパウロの働きはエルサレムにいるユダヤ人たちにとって許しがたいもののように思えたのですが、彼はどんな抵抗があっても自分の確信を曲げることなく邁進したのです。パウロは世界の都であるローマに行きたいと願いつつ、その前にエルサレム教会を訪ね地中海の至る所にキリスト教会が生まれ、育っている事実を伝えなければならないと決意しました。エルサレム教会がユダヤ人だけでかたまり、パウロが生み育てた教会が分裂することを危惧したのでしょう。
しかし、ユダヤ民族の裏切り者というレッテルを貼られているパウロがエルサレムに行くことは危険極まりないものでした。旅路の途中ミレトスにはエフェソの長老たちを呼んで遺言のような説教をしました。それは彼が教会という群れを世話し守っていくように最後に云い残した言葉でした。すなわち「交わり」です。教会においては愛の交わりが実現していることが大切なのです。だからこそ、何時も祈りと聖書に真剣に学ぶことです。み言葉が真理だからです。
パウロは3年間のエフェソの教会では嬉しい楽しいのみならず、夜も昼も涙を流していたともありますが、目を覚まして真理の到来を見つめているのです。それがキリスト者だと云います。涙を流す状況にでもキリストが存在するのを見つめて祈るのです。パウロは離れざるを得ないのです。困難があるだろうけれども彼自身何も出来ないのです。だからその中で「神とみ言葉にあなた方をゆだねます」と語りました。み言葉が人を造り上げるのです。3年間でしたが共に信仰生活が楽しく生き生きとできたことを大変嬉しく思います。お祈りありがとうございました。

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