2018年4月30日月曜日

2018年4月15日

2018年4月15日 復活節第3主日礼拝説教要旨
   「わたしにつながっていなさい」 佐藤博牧師
    ヨハネによる福音書 15:1~10節
教会の営みから身を引くも、勿論クリスマス、復活節等の教会の動きはわかりますが、宗教改革記念日が近づいているのには気づきませんでした。昨年の9月に入って、今年10月30日はルターの宗教改革記念日より500年目だと気付きました。現役ではありませんので、何かの機会でと、少し遅れて今朝の説教となりました。
教会と信仰者の救い主イエス様と「つながり」に最も危機感を抱いていたのが、今朝のイエス様の「ぶどうの木」の譬えを残した福音書記者ヨハネだと思います。そのヨハネがキリストに「つながる」事の啓発者が、パウロであると理解しています。今朝の「ぶどうの木の譬え」の前半部分で前置詞「エン」単独で「私とつながる」ことを4回に渡り強く訴えています(2・4・5・11節)。ローマ書6章11節に「キリスト・イエスにあって」は口語訳・新共同訳では「…に結ばれて」と訳されています。ヨハネはこの「ぶどうの木の譬え」の1~10節間で10回の動詞「メノー」と前置詞「エン」を重ねて、例えば4節の「わたしにつながっていなさい」の文章をパウロの時代より約40年後、私たちに訴えています。ヘレニズムの文化の影響が非常に強くなって、イエス様との「つながり」が薄まっていたのでしょうか。なりふり構わず、少し泥臭い表現ですが、「メノー」「エン」を重ねて、イエス様への「つながり」の希薄化に対抗しているようです。
何をもってイエス様との「つながり」を強く現すかは、ヨハネ15章7節の「私の言葉があなた方の内(エン)、いつもあるならば(メノー)」とあります。この「言葉」レーマは「口から発せられた声」の意味です。イエス様との「つながり」が人格的に最も強いことを示唆しています。パウロはローマ書10章17節で「実に信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉(レーマ)を聞くことによって始まるのです。」と語ります。パウロの最晩年のイエス様との「つながり」は何が一番中心かを強く教えています。ルカやヨハネもこの言葉(レーマ)の意味を訴え、教会とキリスト者の信仰の中心に据えようとしました。

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