2019年4月8日月曜日

2019年3月31日

2019年3月31日 受難節第4主日礼拝説教要旨
  「変化する力」 浅居正信牧師
    ルカによる福音書 9:28~36節
 イエスは、弟子の3人を連れ、祈るために山に登られました。
 「祈っておられる内に、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」とあります。イエスにとって、祈りは、神の御心を知り、その道を歩む力を受ける場でした。「祈っておられる内に、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」とあります。この「奇跡」と「変貌」には決定的な違いがあります。それは、「奇跡」は、イエスが言動をもって主体で動かれましたが、「変貌」は、キリストは完全に受け身だったのです。イエスの変貌は、救い主であるイエスの本質をあらわすため、神が天から一方的に与えられたのでした。
 雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので弟子達は恐れた。すると、「これは私の子、選ばれた者。これに聞け」と言う声を雲の中から聴いたのです。このキリストの変貌を見た経験は、やがて弟子たちが、イエス・キリストを救い主と信じた時に信仰を支えたのでした。
 イエスは、祈るため山に登られます。イエスはひとり山に登られたのでもなく、三人の弟子たちを連れて、祈りに赴かれました。オリーブ山の祈り(ゲツセマネの祈り)の場合も同じことが言えます。そこに将来の教会の姿、イエス・キリストの祈りに励まされて共に祈る弟子たちの姿の先取りをイエス・キリストはなさっておられるのではないでしょうか。
 福音書には、祈りの途中で眠り込んでしまった弟子たちが、イエスの十字架と復活のあと、ペンテコステの日に「心を合わせひたすら祈りをしていた」(使徒1:14)弟子たちの姿がありました。イエスの祈りの姿によって励まされて弟子たちは祈りへと招かれ、苦難の道を歩みつつ、イエスに従いゆくべく、イエスは生涯の重大な場面で祈ることのできない弟子たちを連れて山へ登られたのです。
 イエスの姿が変わったように、わたしたちにも変化を促しているのかもしれません。無理解な弟子たち、弱さや欠けの多い弟子たちが、イエスに招かれ出会いました。わたしたちひとりひとりは、イエスに出会うことによって変化をする力を備えてくださっているのです。

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