2019年6月17日月曜日

2019年6月9日

2019年6月9日 ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝説教要旨
  「聖霊降臨」 榎本栄次牧師
     使徒言行録 2:1~13節
 今日はペンテコステ(聖霊降臨日)の礼拝を守っています。イエス亡きあと、弟子たちは人々からの迫害を恐れて隠れて集まりをしていました。そのような弟子たち一人ひとりの上に聖霊が下りました。すると彼らは怖れを捨て、外に出て人々の言葉でみ言葉を語り出しました。ペンテコステの出来事です。今日は教会の誕生日です。 
 教会という言葉には二つの呼び名があります。一つはエクレシア(集められた者)です。集められた者は、無欠陥のエリートたちではなく、むしろ世間からははみ出した変わり者であり、負け組の閉じこもりの人たちでした。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである」(マタイ9:13)と言われたとおりです。
復活後、主イエスは「力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(使徒言行録1;4)と言われました。教会は、逃げ込むところです。集められた者は、祈ります。泣きます。助けを求めます。待ちます。叫びます。共に食事をします。話を聞き合います。そこに聖霊が下るのです。完全な受身形です。牧師も信徒も待つ者でなければなりません。
もう一つはディアスポラ(散らされた者)という言葉です。外に出ていくのです。追い出されるという意味もあります。遣わされたところでもあります。そこは「狼の群れに羊を送り込むようなもの」(マタイ10:16)です。礼拝を終え、ここからそれぞれ違ったところに散らされていくのです。その散らされた所が、ディアスポラとしての教会、キリストの体です。キリストは弟子たちを「強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ」られました。(マタイ14:22)教会が教会になっていくためにはこの二つのことが必要です。
聖霊を与える。その約束を頂くために私たちは週毎に集まってくるのです。そして、主の使命を受けて散らされていくのです。約束を信じ待つ時、必ず主は助け主を送って下さいます。そこに主の教会があるのです。

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