2020年5月7日木曜日

2020年5月3日

2020年5月3日 復活節第4主日礼拝説教要旨
   「神さまがわたしを用いられる」 小笠原純牧師
     ヨハネによる福音書 21:15-25節
 そのときはとても良いことであったとしても、あとから考えると、ちょっとあまり良いことではなかったかもしれないというようなことも起こってきます。私たちはこうしたことを、「人間万事塞翁が馬」「禍福はあざなえる縄の如し」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」と言ったりします。そして「しかしまあ、人生、沈んだり、もぐったり、沈んだり、もぐったりやな」「それ、ずっと沈んで行ってます」というような冗談を言いながら、慰めあって私たちは生きていきます。
 ペトロはイエスさまから三度、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」と問われています。それはペトロが三度、「イエスを知らない」と言ったからでした。一度目も、二度目も、三度目も、ほぼペトロの答えは同じです。何もかもご存じの方がおられる。わたしの弱さを、わたしのなさけなさを知っていてくださる方がおられる。そしてそのうえで、わたしを赦し、わたしを救ってくださる方がおられる。その方にわたしはすべてをお委ねする。そういう意味で、ペトロは「わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と応えます。
 「うまくいかない」「思うようにならない」「なんかだめだ」と思っているあなたを用いてくださる神さまがおられると、聖書は私たちに告げています。聖書は、【ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである】と記しています。ペトロも、自分の天への召され方が、神さまの栄光を現すことになるとは思っていなかっただろうと思います。
 周りの人を見回すと、りっぱな働きをしているから、神さまに愛されて、もしかしたら神さまから特別に愛されているので、あの人は死なないのではないかと思えるときがあります。「主よ、この人はどうなるのでしょうか」。そんな感じで、自分は取るに足らないつまらない者であるように思えるときがあります。しかし、イエスさまは言われます。「あなたの生涯は祝福されている」「あなたの生涯は、神さまの栄光を現すものである」。
 私たちは、一喜一憂するのではなく、淡々と、神さまの大きな祝福のうちにあることに感謝をして歩んでいきたいと思います。神さまが私たちを神さまの御用のために用いてくださいます。神さまの大きな御手のうちにあることを信じて、感謝をしつつ歩んでいきましょう。

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