2020年9月18日金曜日

2020年9月6日

 2020 年 9 月 6 日 聖霊降臨節第15主日礼拝説教要旨

   「命の光を持とう」 小笠原純牧師

   ヨハネによる福音書 8:12-20 節

 昔、わたしは左のポケットに300円が入っているのに、右のポケットに入っていた30円を取り出して、300円が30円になったと大騒ぎしたことがありました。なんともなさけない体験でしたが、この体験、わたしの神さまに対するあり方と、よく似ていると思いました。わたしは神さまからいろいろな祝福を受けていながら、自分で「ない、ない」と思い込んでしまうのです。いろいろな祝福を受けていながら、それに気づかず、「なんでわしだけがこんな目にあわんといかんのや」と思ったりします。

 ファリサイ派の人々は、イエスさまに「あなたは自分勝手に自分のことを証ししている」と言いました。「あなたは『わたしは世の光だ』なんて格好のいいことをいうけれども、だれもあなたのことを保証してくれる人がいないじゃないか」というわけです。しかしイエスさまは「わたしはどこから来て、どこへ行くかを知っている」と言われ、神さまの御子としてのご自分について証しされました。私たちは神さまから多くの祝福を受けていながら、それに気づかず、「なんでわたしがこんな目にあうのだ」という思いを持って、自分を見失ってしまうこともあります。自分には重すぎる課題を抱え、悩みの中で、「どうして、神さまは・・・」との思いをもつこともあります。

 しかしイエスさまは私たちが命の光を持っていると言われます。「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。私たちの救い主であるイエス・キリストは、私たちがどこから来て、どこに行くのかを知っておられる方です。私たち以上に、イエスさまは私たちのことを知っていてくださる方です。私たちの喜びも悲しみも、弱さもつらさも、私たちの生も死も、イエス・キリストは知っていてくださいます。

 イエス・キリストは世の光となって、私たちのすすむべき道を照らしてくださっています。イエスさまに導かれて歩んでいきましょう。

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