2020年11月8日 降誕前第7主日礼拝説教要旨
「力強い神さまの選び」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 3:7ー12節
「あしたのジョー」で有名な漫画家のちばてつやは、「浦沢直樹の漫勉 NEO」のなかで、「脇役を描くのが好きだ」と言っています。ちばてつやは「教会は、ぼくのマンガに大きな影響を与えている」(「信徒の友」)と言っています。ちばてつやは洗礼を受けたクリスチャンではないのですが、日曜学校に通い、教会の中の交わりの中で大きくなりました。神さまが一人一人を愛してくださっているということをが、なんとなく染みついているのです。だから漫画で描く登場人物、一人一人に愛情があるのだと思います。一人一人に個性があり、そしてその人生があるということが染みついているのだと思います。
洗礼者ヨハネはユダヤの人々に、悔い改めを迫り、洗礼を授けていました。【『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな】という言葉は、なかなか激しい言葉です。ユダヤの人たちは、自分たちの先祖であるアブラハムが神さまから特別の祝福を受けたということを信じていました。そしてその子孫であるということが、神さまからの祝福の源であると思っていました。しかし洗礼者ヨハネは、「アブラハムの子孫であるということなど関係ない」と言いました。「自分たちが特別である」などと思って、高慢になってはいけないと、洗礼者ヨハネは言いました。
洗礼者ヨハネが、強い言葉で人々に悔い改めを迫るのは、必ず救ってくださる方がおられるという確かな信頼の裏返しでもありました。どんなにだめな私たちであったとしても、私たちを赦し、私たちを愛してくださる神さまがおられる。洗礼者ヨハネはこのことを信じていました。
神さまは私たちを愛してくださっている。私たちもまたこのことを信じています。一人一人、神さまは私たちを選び、私たちを神さまの愛で充たしてくださいます。私たちは、神さまの愛を受けるべく選ばれ、一人一人、愛を受けるべく作られています。
イエスさまはこのことを、「迷い出た羊のたとえ」として話されました。私たちの神さまは、迷い出た一匹の羊を大切にされる方です。一匹くらいいなくなってもかまわないと思われる方ではありません。迷い出た一匹の羊を大切にされるのです。私たちはそうした力強い神さまの選びの中に生きています。「ぜったいにこの人を救う」という神さまの選びの中に生きています。
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