2020 年 11 月 22 日 降誕前第5主日礼拝説教要旨
「わかちあいの世界にようこそ」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 25:31 ー 46 節
世の終わり、終末のときに、神さまから私たちは自分たちが歩んできた歩みについて問われます。そしてできることであれば、神さまの前で、自分の歩んできた小さな良き歩み、それは本当に小さな歩みに過ぎないかも知れないですけれども、でも神さまにお伝えしたいと思うのです。
イエスさまは【わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。】と言われました。わたしに直接してくれたことではないけれども、あなたたちの世の中で苦しんでいる人、困っている人、つらい思いをしている人、悲しんでいる人、そういう最も小さな者の一人に、なにか手を差し伸べるということは、わたしにしてくれたことになるのだ。この最も小さい者の一人を大切にしてほしい。そういう世の中であってほしい。わかちあいの世界であってほしい。イエスさまは私たちにそのように言われました。
最近、「自助、共助、公助」という言葉をよく見かけます。東八幡キリスト教会の牧師で、NPO 法人抱樸の理事長である奥田知志牧師は、菅総理大臣の言われる「まずは自分でやってみる」ではうまくいかないと言います。【「私(自助)」が決壊する前に、「共助」、いや、なによりも「公助」が活用できること。それが、ほんとうの意味で、菅氏が言う「自助」の尊重となる】と言われます。
私たちはここ数十年の間に、「自己責任」という奇妙な言葉に振り回されて、私たちの世の中が、さみしい世の中になってしまったような気がいたします。私たちクリスチャンは自己責任の世界に生きていません。私たちは私たちの罪の問題を、自己責任として解決することができないからです。私たちの罪は、主イエス・キリストが十字架によって取り除いてくださったのです。
神さまが育ててくださり、神さまが養ってくださっている。収穫を感謝するこの日、私たちは「わかちあいの世界に生きている」ということを、もう一度思い起こしたいと思います。
神さまが私たちを愛してくださり、私たちの罪を許してくださいました。イエスさまが私たちの罪のために、十字架についてくださいました。私たちは神さまの溢れる愛の中に生きています。神さまに愛され、赦されている者として、イエスさまが喜ばれるわかちあいの歩みでありたいと思います。
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