2021年1月17日 降誕節第4主日礼拝説教要旨
「「神の国」考」 竹内宙牧師
ヨハネの黙示録 10:8ー11節
聖名讃美
新年を迎えました。昨年から引き続いてのコロナ禍による「不安」が世界を覆っている中での2021年の営みがスタートします。
堅田教会は近江ミッション(現近江兄弟社)直轄の伝道拠点として築かれ、90年の歴史を刻んできました。ヴォーリズの生涯は、「神の国を求めて」「祈りつつ前進」するものでした。ヴォーリズのイメージした「神の国」は、マルコ4:30-32(「からし種」のたとえ)にあります。
今日与えられた聖書箇所(黙示録10章8-11節)を通じて、「神の国」を再考したいと思います。
イェス様が活動されていた時代は、ユダヤ教内で終末思想が渦巻いていた時代でした。終末(神の支配=神の国)はすぐ目の前に迫っている、「神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」と。
ユダヤ教的終末論(ダビデ王朝再現に導くメシア待望論)に対するイェスの冷ややかな立場(マルコ4:26-32)。この両者の異なった考えをより明確に受け継いだ内容が黙示録に描かれています。黙19:11-16(11/22)と黙21:1-4,22-27(10/25)です。生まれたばかりのキリスト教は厳しい迫害の時代へと向かいます。皇帝ネロによる迫害、ドミニアス帝による大迫害を経験した著者の思い描いた来るべき世界(神の国)。真逆の世界が示されています。キリスト教世界にはこの真逆の考えが同居しています。私たちはどちらの考えの信仰者となるのでしょうか。今日与えらせた聖書箇所にある「苦さ」を考えたいと思います。
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