2021年1月3日 降誕節第2主日礼拝説教要旨
「嘆き悲しむ者と共に」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 2:13ー23節
莫言の『中国の村から 莫言短編集』の中に「片手」という短編小説があります。中越戦争で負傷し、片手を失った帰還兵の物語です。青年は戦争で片手を失ったけれども、祖国の英雄として迎えられ、いい仕事にもつけて、村の美しい娘と結婚できると思っていたのですが、実際はそうではありませんでした。日中戦争、朝鮮戦争、ベトナムとの戦争など、お国の戦争にかりだされて帰還兵となって故郷の村に帰ってくる。しかし保障があるわけでもなく、農村の暮らし向きはそんなにいいわけでもない。政治に翻弄され、困難を抱えながらも、それでも中国の農村の民は生きてきました。
為政者に翻弄され、大変な目に合いながら生きてきたというのは、中国の人々だけではありません。内戦状態のシリアなどもそうでしょう。そして昔々のユダヤもそうでした。ヨセフ、マリア、そしてイエスさまは為政者に翻弄されながら生きていきます。イエスさまは生まれて間もなく、難民となり、エジプトへ逃げていかれます。残忍な王さまがいるために、国に帰ることができない。残忍な王さまが亡くなったので国に帰るけれども、でもまだ残忍な支配者がいるので安心できない。なかなか辛い時代です。
でもそうした辛く悲しい時代にあっても、神さまはイエスさまたちを守られ、そしてイエスさまたちを導かれると、聖書は記しています。【それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった】。聖書は【実現するためであった】【実現した】【実現するためであった】と記しています。いろいろな大変なことがあったけれども、しかし神さまのみ旨が実現していくと、聖書は記しています。つらく悲しい時代にあっても、神さまの御守りの中、イエスさまは成長されたのだと、聖書は記しています。神さまは嘆き悲しむ者を忘れることはないということです。
イエスさまは私たちと共にいてくださり、私たちを守ってくださいます。私たちに道を示してくださり、私たちの歩みを整えてくださいます。私たちの救い主イエス・キリストは嘆き悲しむ者と共に歩んでくださり、私たちに神さまの愛を教えてくださいます。
2021年になりました。新しい年も、イエスさまと共に歩みましょう。
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