2021年5月30日 聖霊降臨節第2主日礼拝説教要旨
「賢いものには見えない。」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 11:25ー30節
人は自分の都合の良いように人を動かそうとしたりすることがあります。また自分の考えが正しいから、その考えを人々に知らしめたいと思うことがあります。そしてそのことのゆえに、とても激しい調子で、人を問いただしたりしてしまうことがあります。自分が知恵ある者だと思って、知恵のない人に教えてやらなければならないという思いにかられることがあります。
わたしはこころのなかに激しい思いがあるので、そうした思いに引きづり回されてしまいがちです。正しさを振り回して、人を傷つけてしまいそうになります。そうしたとき、神さまに祈り、そして心を落ち着けなければならないと思います。「穏やかに、健やかに」ということを大切にしたいと思うのです。
イエスさまは神さまのことは、知恵ある者や賢い者にはわからないのだ。それは隠されているのだと言われました。それでは神さまのことは、どういう人がわかるのかということですが、それは幼子のような者だと言われます。幼子のように、素直なこころを持つ者、また社会的な力がある者ではなく、力のない者、そういう人が、神さまのことがよくわかると、イエスさまは言われました。
イエスさまは「わたしに学びなさい」と言われました。自分が知恵ある者、賢い者と思って思い上がるのではなく、わたしに学びなさいと、イエスさまは言われました。そしてイエスさまはご自分のことを、「わたしは柔和で謙遜な者」と言っておられます。ですから、私たちも柔和で謙遜な者になりたいと思います。
あんまり一生懸命になりすぎると、ちょっと疲れてしまうのです。イエスさまは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言われました。また「あなたがたは安らぎを得られる」と言われました。ですから私たちは健やかに、イエスさまに従っていきたいと思います。心の中に、「ちょっと、これ、いやな気持ちだなあ」と思うものが見つかった時は、少し、休みたいと思います。「イエスさま、ありがとう」「神さま、ありがとう」という気持ちが、心の中に一杯あるようなそうした歩みでありたいと思います。
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