2021年9月12日 聖霊降臨節第17主日礼拝説教要旨
「赦す、赦さない、赦す、赦さない。」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 18:21ー35節
昔、人は恋する年齢になると、花や葉っぱのある枝を見つけると、手に取って「好き、嫌い、好き、嫌い」というふうに占いました。使徒ペトロは残念ながら、そういう日々をもう卒業していたのでしょう。彼に葉っぱのついた枝を渡すと、葉っぱを一枚ずつちぎりながら、こう言いました。「赦す、赦さない、赦す、赦さない」。実際、使徒ペトロがそんなことをしたとは聖書にはのっていませんが、そうしたような気がします。皆さんは葉っぱのついた枝を手渡されると、どうされますか?。「好き、嫌い、好き、嫌い」とされますか?。それとも「赦す、赦さない、赦す、赦さない」とされますか?。
使徒ペトロはイエスさまに「何度まで赦したらよいのでしょう。七回までですか?」と尋ねました。しかしイエスさまは使徒ペトロに、「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言われました。それは「徹底して」とか「赦せるだけ赦して」とかいうのではなくて、「あなたの思っているところを越えて、もうずっっっっと赦してあげなさい」と言われたのでした。そして、イエスさまは自分は赦されたにも関わらず、仲間を赦すことができない家来のたとえをはなされました。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」と、人を裁いたり、憎しみの側に引きずり込まれようとしている使徒ペトロに、イエスさまは神さまの愛に生きなさいと言われました。「赦す、赦さない、赦す、赦さない」と自分が赦されて生かされていることを忘れてしまっている使徒ペトロに、「神さまはどんなにあなたのことを赦してくださったか」を思い出しなさいと、イエスさまは言われました。
私たちは神さまがとっても大きな愛と赦しをいただいている。このことに感謝して、このことを大きな喜びとして生きていこう。ほかのことは小さなことじゃないか。そんな小さなことにいちいちこだわっているよりも、神さまの大きな愛のなかにあることに感謝して生きていこうじゃないか。イエスさまは使徒ペトロにそのように言われました。
使徒ペトロと同じように、私たちもまた神さまから大きな愛と赦しをいただいて生きています。まずこのことにこころを向けましょう。そして大きな喜びに満たされて、感謝して歩んでいきましょう。
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