2021年10月2日土曜日

2021年9月19日

 2021年9月19日 聖霊降臨節第18主日礼拝説教要旨

   「神さまによって救われる。」 小笠原純牧師

    マタイによる福音書 19:13ー30節

 山本周五郎の『日日平安』の主人公の浪人は、お家騒動の手柄をたて、仕官できるだろうときに、逃げ出してしまいます。自分はもしかしたら仕官できるのではないかというさもしい考えで、このことにあたっているけれども、ほかの人たちは一生懸命に藩のことを考えて純粋な気持ちで行なっている。そのことを考えると、自分のさもしさが身にしみてきて、こんなことでは人間としてだめなのではないかと思い、そして逃げ出すのです。人は、自分は何のために生きているのか。お金のためだけに生きているのか。果たしてそれで良いのかというようなことを、立ち止まって考えるときが、ふいに訪れるということがあるわけです。

 若い時、お金のことが気になって、生活のことが気になって仕方がなかった人も、年を取ると、また少し変わってくるのではないでしょうか。「子供を祝福する」「金持ちの青年」ときて、私たちはどうなのかというところです。天の国は子供たちのものであると、イエスさまは言われました。そして青年のお金持ちを見ながら、イエスさまは「金持ちは天の国に入るのは難しい」と言われました。そしてだんだんと年を取ると、また私たちはどちらかというと、子供たちに近くなります。

 お金は天の国にもっていくことはできません。私たちは年を取り、本当に私たちが必要としているものを求める生き方へと戻っていきます。私たちに必要なのは、お金ではなく、イエスさまからの、神さまからの祝福です。私たちが求めるものは、イエスさまが私たちに手を置いてくださり、「あなたは神さまの子どもです」「あなたは神さまの子としての永遠の命を得ています」という祝福です。

 私たちは神さまによって救われています。神さまの大きな愛のうちに、私たちはあるのです。私たちがなにか善いことをしたから、私たちは救われるわけではありません。ただ神さまが私たちを愛し、神さまが私たちを憐れんでくださるので、私たちは救われるのです。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と、イエスさまは言われました。

 私たちは天の国に入り、そして私たちは永遠の命を得るのです。ただ神さまの憐れみによって、神さまの愛によって、私たちは大いなる祝福を得るのです。神さまが私たちを救ってくださる。このことを信じて、神さまのお委ねして歩みましょう。


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