2023年4月21日金曜日

2023年4月16日

 2023年4月16日 復活節第2主日礼拝説教要旨

「ディディモと呼ばれるトマス」 内山宏牧師

  ヨハネによる福音書 20:24-29節

 今日のみ言葉に「ディディモと呼ばれるトマス」が登場します。「ディディモ」とは「双子」という意味ですが、登場するのは一人だけです。

 古来よりこの物語から、トマスは「懐疑家」、「実証家」と言われます。しかし、私はこの理解に違和感を覚えます。トマスは11章と14章にも登場し、特に11章16節「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」という言葉は、冷めた人間の言葉ではありません。ある人は、この言葉を「死の哲学を感じさせる言葉」と捉え、納得できる死に方によって自分の人生を意義づけようとしたが、結局、彼も主を捨てて逃亡した弟子のひとりであり、失意の内に他の弟子たちと共にいることさえできず、さまよい歩いたのではないかと考えました。内に熱い思いを秘めながら、イエス様の十字架の出来事によって挫折し、大きな矛盾を抱えた人間トマスです。彼には他の弟子の「わたしたちは主を見た」という言葉も心に響かず、「あの方の手に釘の跡を見…この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」という挑戦的な言葉を吐くことしかできなかったのではないか。彼は「信じない」のではなく、「信じたくても、信じられない」のです。ここに「引き裂かれた人間トマス」がいます。彼の挑戦的な言葉に引き裂かれた人間の叫びを感じます。

 ここに、ユダヤ教の会堂から追放され、脱落者も出る厳しい状況にあったヨハネの教会が重ねられているかもしれません。また、新型コロナによって交わりが揺ぐという体験や、プーチン政権によるウクライナ侵攻によって尊い命が奪われ、人々が引き裂かれ、分断された世界を重ねることができるかもしれません。

 けれども、引き裂かれた人間トマスは、このまま捨て置かれることはありませんでした。深く傷つき、大きな愛を必要としたトマスのもとに復活の主は来られ、十字架の傷を差し出し、「私は、お前のためにもう一度あの十字架の苦痛を引き受けよう。」と言われたのだと思います。トマスの頑な心が解け、引き裂かれた人間トマスが復活の主によって回復された瞬間です。「傷ついた癒し人」として来てくださった復活の主によって、トマスは信じる世界へと連れ戻されました。福音書記者ヨハネにとって、トマスの双子のもう一人の姉妹兄弟とは他ならないヨハネの教会でありました。そして、私たちもまたトマスの姉妹兄弟となることがゆるされています。


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