2023年4月8日土曜日

2023年4月2日

 2023年4月2日 受難節第6主日礼拝説教要旨

「声高らかに神さまを賛美して」 前川裕牧師

  ルカによる福音書 19:28-48節

  「棕櫚の主日」はイエスのエルサレム入城の場面を記念する場面です。人々がシュロ(ヤシ科の植物)の枝を持ってきて、イエスが通る道に敷いたとされます。このことは他の3つの福音書に記されていますが、ルカ福音書では言及されていません。おそらくルカは枝のエピソードを知っていたはずで、敢えて削除したようです。それはなぜでしょうか。

 枝を道に敷いてイエスを歓迎したのは、他の福音書によれば「大勢の群衆」「多くの人」でした。イエスに「ホサナ」と叫んだのもその人たちです。ところがルカ福音書では、「声高らかに賛美」したのは「弟子の群れ」でした。ルカ福音書の構成では、9章末から19章までイエス一行は長い旅をしています。その間に、イエスは多くの奇跡をなし、教えを語りました。弟子たちもまた、そこに忠実に付き従っていたのです。エルサレムに入城する際、弟子たちは「自分の見たあらゆる奇跡のこと」ゆえに喜びました。それは、自分たちが経験した、イエスによって生まれる新しい社会、いわば「神の国」の実現がいよいよ始まるという期待でもあったのでしょう。

 弟子たちの声には、「天には平和、いと高きところには栄光」というルカ独自のものがあります。ここからすぐ想起されるのは、ルカ2章において天使が羊飼いたちに語った「天には栄光、地には平和」という言葉でしょう。2章では天から、19章では地からと対照的な宣言がなされます。しかし19章で「地には平和」と語られていないことは、現実の状況を反映しています。弟子たちの賛美に対し、ファリサイ派から批判の声が上がります。またイエスはエルサレムへの嘆きを述べます。さらには神殿の境内から商人を追い出すのです。祭司長らはイエスへの敵意を高めていきます。地上の平和どころか、争いが渦巻いているのがエルサレムでした。

 ファリサイ派たちは、いわば「分かりやすい敵」です。ところで入城の際に熱狂的に迎えた弟子たちや群衆は、その後どうなったでしょうか。弟子たちはイエスのもとから逃げ去り、群衆はイエスを「十字架につけろ」と叫びました。それはたった1週間のあいだの出来事です。受難週は、人間の心がいかに変わりやすいものかをも告げ知らせています。私たちの心もまた同じ状態に陥りやすいものです。そのような私たちの内にある「分かりにくい敵」の姿を、受難週に、またイエスの十字架において改めて目に留めましょう。


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