2023年9月22日金曜日

2023年9月17日

 2023年9月17日 聖霊降臨節第17主日礼拝説教要旨

「抱きしめられたい夜もある」 小笠原純牧師

  ルカによる福音書 15:11-32節

 30、40代の女性に人気のあるコラムニストのジェーン・スーは、女性はみな自分のなかに「小さな女の子」をもっているのだと言います。そうしたことはわたしにも思いあたります。ただただ切なかったり、悔しかったり、いやだったりする気持ちを、大人であるわたしは表面上は隠すわけですが、でもわたしの中の「小さな男の子」は、「いやだ。悲しい。くやしい」と泣き声をあげるのです。

 「父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。レンブラントの絵に、「放蕩息子の帰還」という絵がありますが、この聖書の箇所が描かれています。ひざを折って悔い改めている放蕩息子の肩に、お父さんが手を置いて、憐れみ深く抱きしめている絵です。

 傷つき、疲れ果てて、倒れそうなとき、だれしも「抱きしめられたい」と思います。放蕩息子はお父さんに抱きしめてもらいたかったのです。そしてまた放蕩息子のお兄さんも、お父さんに抱きしめてもらいたかったのです。父のもとを離れず、父のそばにいて、一生懸命に父のもとで働いていた。父の言いつけをすべて守るような人だったので、父もあまり気にしていなかったわけですが、放蕩息子のお兄さんはお父さんに抱きしめてもらいたかったのです。しかし放蕩息子のお兄さんは、そのことをお父さんに言うことができず、逆にお父さんに対して、「わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかった」と叫ぶのです。小さな男の子のように。

 人はだれしも「抱きしめられたい夜がある」のです。放蕩息子もそうですし、また放蕩息子のお兄さんもそうなのです。そして私たちにも抱きしめられたい夜があるのです。人に傷つけられたり、また人を傷つけてしまったり。人に辛くあたったり、人から辛くあたられたり。最愛の人を天に送ったり。どうしようもなくさみしくて、悲しくて、だれかに抱きしめられたいと思う夜があるのです。

 そして私たちには、私たちを抱きしめてくださる神さまがおられるのです。身勝手な放蕩息子を許して、抱きしめたように、私たちの悲しみや辛さに寄り添ってくださり、私たちを抱きしめてくださる神さまがおられます。悲しみの中にある私たち、さみしさの中にある私たちの傍らにいてくださり、私たちを慰め、支えてくださる神さまがおられます。安心して、神さまの祝福のなか歩んでいきましょう。


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