2024年2月4日 降誕節第6主日礼拝説教要旨
「神さまのお守りの中にある。」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 5:1-18節
沢知恵『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(岩波ブックレット)には、全国のハンセン病療養所に建てられている貞明皇后の歌碑について書かれてあります。「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」という短歌です。国家によって隔離政策がとられ、家族から棄てられ、以前の友だちに連絡を取ることもできず、孤独を味わった人たちにとって、この歌は、慰めの歌であったのでした。
エルサレムの羊の門のそばにベトザタという池がありました。その池にときどき天使がやってきて、池の水が動く時に、一番先に水の中に入ることができると、どんな病気であってもいやされるというふうに言われていました。そのため病気の人たちは、近くの回廊に横たわって、水の動く時を待っていました。そのなかに38年もの間、病気で苦しんでいる人がいました。
このベトザタの池も、なかなかしんどいところです。いつ水が動くということがわかっていないわけですから、まあそれまでは病人同士で、「こうしたらちょっと痛みが和らぐよ」というような話がなされ、いたわりあいがあるのではないかと思います。でも水が動いたら、そうしたいたわりあいなどなかったかのように、我先にと水の中に飛び込まなければなりません。そうでなければ、自分の病気は治らないのです。38年間病気であった人は、38年間、自分も含めた病気の人たちの争いを見続けてきたのです。こころもすさんでくることになります。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」という彼の言葉は、そうした絶望の叫びの言葉であるのです。
イエスさまはこの病気の人を癒やされました。安息日の出来事でしたので、ユダヤ人たちは安息日違反だと、イエスさまを非難します。イエスさまは「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」と言われました。神さまは憐れみ深い方で、苦しんでいる人、悲しんでいる人を、見過ごされる方ではないと、イエスさまは言われます。あなたがいくらお祈りしても、今日は安息日なので、あなたのお祈りを聞くことができないのだと、神さまは言われない。神さまは悲しみの中にある人、苦しみの中にある人のために、いつも働いておられる。だからわたしも神さまと同じように、安息日であろうと、病気で苦しんでいる人々を癒やすのだと、イエスさまは言われました。
私たちの神さまは、私たちの悩みや苦しみ、またやるせない気持ちをご存知です。そして私たちを愛してくださり、私たちに良き道を備えてくださいます。神さまが私たちのために働いてくださっている。このことを信じて、私たちもまた神さまの御心にそった歩みでありたいと思います。共に祈りつつ、共にこころを通わせ合いつつ歩んでいきましょう。
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