2024年7月19日金曜日

2024年7月14日

 2024年7月14日 聖霊降臨節第9主日礼拝説教要旨

「この人のするままに」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 12:1-8節

 今日は「きてみて・れいはい」にいらしてくださり、ありがとうございます。

 わたしの好きな中国の笑い話に、「氷がにげた」という話があります。「南の国の、しょうしょう頭のたりない男が、北の国のおよめさんをもらった。あるとき、およめさんを自分の家において、ひとりで、およめさんの家に行って、はじめて、氷というものをくった。こいつはうまい、ひとつおよめさんにおみやげにしようと、そっと紙につつんで、ふところに入れて家に持って帰った。「おまえの里に、とてもおいしいものがあったので、おまえに食べさせたいと思って持ってきたよ」。ふところをさがして、氷をつつんでおいた紙ぶくろをとりだしたが、「おや、これは・・・・・・・。あいつめ、小便をしてにげてしまった」」(P90)(『中国の笑いばなし』、学燈社)。この男の人は、愚かだけれども、愛があります。わたしもできれば、「愚かだけれども、愛がある」世界に生きていたいと思います。

 「合理的ではないけれども、そこには愛がある」という話は、ほかにもあります。わたしがこの「氷がにげた」という話を読んで思い出した話は、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」という話です。

 マリアはイエスさまの足に高価な香油を注ぎ、髪の毛でその足をぬぐいました。それをみてイスカリオテのユダは、「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」とマリアを叱り飛ばします。しかしイエスさまは「この人のするままにさせておきなさい」と言われました。イエスさまはマリアに対して、「何かもっとふさわしいものを」とか、「常識的な役に立つことを」というふうに言われませんでした。

 イエス・キリストは私たちに「この人のするままにさせておきなさい」と言ってくださっています。イエス・キリストは私たちが、「りこうであるから、役にたつから、配慮があってすばらしい人であるから」、私たちを受け入れてくださるのではありません。また「もう少しりこうになったら、もう少し役に立つことができるようになったら、もう少し配慮を身につけなさい」と言っておられるのでもありません。「この人のするままに」、「あなたをそのままで受け入れているんだよ」というふうに言っておられます。

 私たちは「この人のするままに」というイエスさまの温かい言葉に支えられながら生かされています。


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