2024年12月22日 待降節第4主日礼拝説教要旨
「よかったね。ヨセフさん。」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 1:18-23節
「【星を動かす少女 松田明三郎」
クリスマスのページェントで、 日曜学校の上級生たちは 三人の博士や 牧草者の群や マリヤなど それぞれの眼につく役を ふりあてられたが、 一人の少女は 誰も見ていない舞台の背後にかくれて 星を動かす役があたった。「お母さん、 私は今夜星を動かすの。 見ていて頂戴ねーーー」 その夜、堂に満ちた会衆は ベツレヘムの星を動かしたものが 誰であるか気づかなかったけれど、 彼女の母だけは知っていた。 そこに少女のよろこびがあった】。
母と少女にはしっかりとした絆があり、少女はそのことに喜びを感じています。「わたしがいて、あなたがいる」。そのことをただ喜ぶことができるというのは、とても幸せなことだと思います。世の中、いろいろなことがあります。「・・・だったらなあ」と思うこともあります。「マリヤだったらなあ」「博士だったらなあ」、「もっと才能があったらなあ」「もっと人からほめられたいなあ」「もっとお金持ちだったらなあ」。たしかにそうしたことはあるわけです。才能や名誉やお金があればなあと、私たちはよく思います。しかしそうしたものがあれば幸せかというと、そういうことでもないわけです。やはり「わたしがいて、あなたがいる」ということや「わたしのことを知っていてくださる」ということは、とてもかけがえのないことであるのです。それはとても大きな喜びなのです。
困難な世の中にあって、「正しい人」としてヨセフは生きようとしていました。ヨセフは良き人として生きようとしていました。ヨセフはマリアのように、ほめたたえられる人にはなりませんでした。しかし神さまはヨセフのことを見ていてくださり、ヨセフを豊かに祝福してくださいました。「神さまがわたしを見ていてくださる」「神さまがわたしと共にいてくださる」。ヨセフはそのことに感謝をして、その生涯を歩みました。ヨセフは「星を動かす少女」のようです。
クリスマス、イエス・キリストは私たちのところにきてくださいます。私たちのかけがえのない友として、私たちのところにきてくださいます。イエスさまは私たちのことを知っていてくださり、私たちを愛してくださっています。私たちはイエスさまの愛のうちに生きています。
0 件のコメント:
コメントを投稿