2025年1月11日土曜日

2025年1月5日

 2025年1月5日 降誕節第2主日礼拝説教要旨

「神さまの導きに従って」 小笠原純牧師

  マタイによる福音書 2:13ー23節

 2025年を迎えました。新しい年も皆様のうえに、神さまの恵みと平安とが豊かにありますようにとお祈りしています。

 毎年、わたしは年賀状に、聖書の言葉を書くことにしています。「善を求めよ。悪を求めるな。 お前たちが生きることができるために(旧約聖書 アモス書5章14節)」「私たちの世の中が、奪い合いではなく、わかちあいの世の中であることを信じて歩みます」。不正や不信仰が満ちている社会のなかで、預言者アモスは「みんな神さまの御心に反して生きている。それはよくない」と言いました。神さまの御心にしたがって、善を求め、悪を遠ざけ、私たちの社会が良き社会になるようにしていこうと、人々に呼びかけました。

 イエスさまはお生まれになられたあと、ヘロデ王から命をねらわれ、そしてエジプトに難民となって逃げることになりました。そのときヘロデ王による幼児虐殺が行われ、人々は王の圧政に苦しみます。しかし聖書は同時に、そうした大変な出来事の中で、神さまの導きがあり、イエスさまたちが守られたということが記しています。

 また悲しい出来事も「預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した」と、マタイによる福音書は記しています。これは悲しい出来事を神さまが行われたのだということを言っているのではありません。悲しい出来事が起こったけれども、しかし神さまはそのことを知っていてくださるのだということです。神さまが知っていてくださり、そしてそののち、神さまの御心が行われていくのだということが記されているのです。

 イエスさまの誕生の物語の後半は、イエスさまが大変な出来事に出会うという物語です。しかしそうしたなかにあっても、【主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった】と記され、預言者たちをとおして示されている神さまの御心が行われていくことが記されてあります。

 私たちは生活のなかで、いろいろな出来事に出会います。うれしいこともありますが、悲しいこともあります。とても受け入れがたい出来事だと思えるような出来事をも、私たちは拳々します。しかしそうしたなかにあっても、私たちは神さまの導きがあると信じて歩んでいます。神さまは私たちを愛してくださり、私たちを導いてくださいます。

 新しい年も、神さまの愛のうちを、お迎えしたイエスさまと共に歩んでいきたいと思います。

 

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