2025年1月25日土曜日

2025年1月19日

 2025年1月19日 降誕節第4主日礼拝説教要旨

「イエスさまに治していただく」 小笠原純牧師

   マタイによる福音書 4:18-25節

 俳優の北川景子は小学生のときに、神戸で阪神大震災を経験しています。自宅や家族は無事でした。それでも「なぜ自分がこんな目に逢うのか、亡くなった人はどうして亡くならないといけなかったのか」。とても気持ちが落ち込みます。

 北川景子は数年後、大阪にあるキリスト教系の中学校である、大阪女学院に入学をします。【転機は中学時代。キリスト教系の大阪女学院に入学すると、震災以来の不安感や絶望感が次第に薄れていく。きっかけは言葉の力だった。今でも忘れられないのが、入学式後に教師から教えてもらった「置かれた場所で咲きなさい」という語句だ。ずっと「なぜ自分が」と狭い世界の中で思考を巡らせていたが、それぞれの環境で頑張ればいいと「腑(ふ)に落ちたというか、救い、気づき、導きになった」。他にも「神は乗り越えられる試練しか与えない」「人にしてもらいたいことをしてあげなさい」など、たくさんの言葉が思春期の心を支える】(日本経済新聞の2025年1月5日)。

 「四人の漁師を弟子にする」という物語のなかで語られる、「すぐに網を捨てて従った」「すぐに、舟と父を残してイエスに従った」というときの、「捨てて」とか「残して」というのは、がんじがらめになっていたものから解き放たれていくというようなイメージなのだと思います。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネは、なんとなく自分でどうしたら良いのかわからず過ごしていたのだと思います。そんなとき、彼らはイエスさまに出会い、イエスさまから「わたしについてきなさい」と声をかけられます。彼らはかんじがらめになって、自分でもどうしたらよいかわからなかったけれども、イエスさまから声をかけられ、「この人についていこう」と思い、新しい歩みを始めます。

 このわたしのこころのなかにあるどうしようもない邪な思いを治していただきたい。自分でもこの気持ちをどうにかしなければならないと思うのだけれども、どうしても断ち切ることができない。人の思いは複雑ですから、自分の思いでありながら、自分でどうすることもできないというようなこともあります。私たちは自分ではどうすることもできないけれども、でもイエス・キリストは私たちを癒やしてくださり、私たちに新しい命を与えてくださいます。そして私たちに新しい力を与えてくださり、前を向いて歩んでいく力を与えてくださいます。

 イエスさまが、私たちを招いてくださっています。イエスさまの招きに応えて、イエスさまに従って歩んでいきましょう。



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