2026年3月29日 受難節第6主日礼拝説教要旨
「神に委ねたいのち」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 15:33-41節
良寛の辞世の歌・句については、いろいろな説があります。「形見とて 何か残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」「うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ」「散る桜 残る桜も 散る桜」「良寛の辞世を何と人問はば死にたくないといふたとしてくれ」「師即開口阿一声耳。端然座化」。
イエスさまの死について、それぞれの福音書がそれぞれに、イエスさまの死について書いています。マルコによる福音書のイエスさまは、大声で叫びます。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。
イエスさまは十字架のうえで嘆くのは、イエスさまが私たちと同じように、苦しみの極限を経験されたということです。そして私たちと同じように、神さまに対して嘆きの声をあげて、天に召されていった。そのことによって、私たちは同じように神さまに対して嘆きながら生きている私たちをも、神さまは受け入れてくださり、愛してくださっていることを知ることができるのです。十字架のうえで嘆くイエスさまは、すべてを神さまにゆだねているしるしです。神さまの前では、格好のよさなど必要ない。神さまの前では、自らのすべてをさらけ出し、どろどろとした心のなかをすべて神さまにお見せしてもかまわないということです。どろどろとした罪のなかにあっても、神さまは私たちを愛し、祝福してくださっている。
私たちの神さまは、苦しみのなか叫び、泣き言をいう弱さをも受け入れてくださる神さまです。私たちひとりひとりをそのままで愛してくださり、私たちを憐れんでくださるかたなのです。詩編31編23節は、つぎのように神さまを讃美しています。「恐怖に襲われて、わたしは言いました『御目の前から断たれた』と。それでもなお、あなたに向かうわたしの叫びを、嘆き祈るわたしの声をあなたは聞いてくださいました」。
イエス・キリストは十字架への苦難の道を歩まれました。絶望にみえるその道こそが、私たちにとって希望であります。私たちの主イエス・キリストは、すべてを神さまにゆだねて歩まれました。なにもかも神さまにゆだね、神さまから与えられたいのちを、神さまに返されました。私たちも主イエス・キリストと共に、すべてを神さまにゆだねて歩んでいきましょう。私たちの弱さを受け入れ、私たちの罪をイエス・キリストの十字架によって赦してくださる神さま。私たちを赦し、祝してくださる神さまに感謝して、すべてを神さまにゆだねていきましょう。
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