2026年4月5日 復活節第1主日礼拝説教要旨
「不安が取り除かれる朝」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 16:1-8節
イースターおめでとうございます。
マグダラのマリアとヤコブの母マリア、サロメは、イエスさまの葬りの備えをするために、イエスさまが納められた墓に向かいます。イエスさまが天に召されたのだから、丁寧に葬りの備えをしなければならない。その役割を担ったのは、女性たちでありました。イエスさまの弟子たちは、いろいろと大きなことを言っていたわけですが、イエスさまが捕まった時に、逃げ出し、そして隠れています。
マルコによる福音書が記しているイエスさまの復活の物語は、とても奇妙な物語です。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」。イエスさまのご復活という喜ばしい出来事を伝えるにはほどとおい、とても不思議な語りになっています。不思議というよりは、怖いという語りになっています。
マルコによる福音書のイエスさまの復活物語は、「信仰というのはこういうものなのだ」ということを、私たちに教えてくれます。人が信じるというのは、「はい、そうですか。わかりました」というようなものではないということです。「信じますか」「はい、信じます」というようなことではないということです。
『信仰』(2022年、文藝春秋)という小説を書いている小説家の村田沙耶香は、「速度の速い正しさは怖い」と言っています。キリスト教の信仰はそうした早さのある信仰ではありません。「信じますか」「はい、信じます」「はい、そうですか。わかりました」というようなものではありません。イエスさまの復活に出会った女性たちは、驚いたり、震え上がったり、正気を失ったり、怖がったりしながらも、でも神さまに導かれて、信じる者へと招かれていきます。そしてイエスさまに従っていきます。
私たちは人間ですから、いろいろなことにつまずきます。自分の力を越えた出来事を前にして、「どうしよう」「ちっぽけなわたしに何ができるだろう。なんにもできないのではないか」。そんな思いになります。でも小さな小さなわたしに神さまが働いてくださり、私たちを豊かに用いてくださいます。
力強い御手でもって、私たちを守り導いてくださる神さまがおられます。小さなわたしを励まし、用いてくださる神さまがおられます。神さまの招きに応えて、神さまにお委ねして歩んでいきましょう。
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