2026年5月8日金曜日

2026年5月3日

 2026年5月3日 復活節第5主日礼拝説教要旨

「イエスさまにつながって生きる」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 15:1-11節

 わたしが高松で大学生活を送っていた時、まだ瀬戸大橋はできていませんでした。瀬戸大橋ができて、便利になったなあと思います。四国に住んでいた者としては、やはりつながるということは、なかなか安心なものだと感じます。ただ橋ができることによって、経済的な発展がなされたかというとそうでもありません。四国の電車の本数はどんどんと少なくなりました。安易につながるのではなく、やはり自分がどういうものを基盤として生きていくのか、何につながっていきていくのかということをしっかりと考えるということも大切なのだと思います。

 ぶどう畑やぶどうの木は、イスラエルにおいては、選ばれた民の象徴として用いられています。しかしイスラエルは神から選ばれた民であったのに、神から離れていくことがしばしばありました。そうしたことがイザヤ書5章1節以下には書かれています。

 イエスさまは「わたしはまことのぶどうの木」、そして「わたしにつながっていなさい」と言われます。これほどイエスさまにつながっていることが強調されるのは、ヨハネによる福音書の書かれた時代に、ひとつには理由があります。ヨハネによる福音書の書かれた時代は、ユダヤ教の一派であるとされていたキリスト教が、ユダヤ教から異端であるとされた時代です。そのためいったんクリスチャンになっていながら、またユダヤ教のほうに帰っていった人々が出てきています。ですからヨハネによる福音書が書かれた時代の人々は、「イエス・キリストにつながっている」ということが大切になってきました。そしてそうした時代の中で、「まことのぶどうの木とは誰であるのか」ということが、真剣に問われたのです。

 そうした事情がありますが、それでもこの聖書の箇所は、私たちにやすらぎを与えてくださる箇所です。イエス・キリストに依り頼むことの確かさを豊かに表わしてくれています。イエス・キリストにつながって生きるということは、生き生きと自分らしく生きるということです。「クリスチャンとしてこうしなければならない」という思いに縛られて、自分では何もできない奴隷のようなつながりということでもありません。イエス・キリストは私たちを自分らしく生き生きといかしてくださいます。私たちはイエス・キリストにつながって生きていると、私たちは自分が神さまに愛されているかけがえのない一人であることを知ることできます。そして自分らしく生きていくことができるのです。


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