2025年5月25日 復活節第6主日礼拝説教要旨
「祈りによってわたしが整えられる」 小笠原純
マタイによる福音書 6:1-15節
平川克美は『会社は株主のものではない』(洋泉社)のなかで、「会社は誰のものでもない。幻想共同体としての会社という視点」ということを言っています。「お金という指標を至上目的とした競争のなかで会社を考えると、どうしても3年ぐらいのスパンでしか考えられませんが、会社というものをもっと長いスパンで考えてみませんかと。10年や20年、あるいは100年というようなスパンで考えると、どういうあり方があるのかを考えてみませんか、ということです」(P.129)。こんなふうに考えると、会社と教会というのはある意味、似ているところがあります。教会というところは、神さまを相手にしていますから、長いスパンで物事をみています。
人は何か良いことをしたら、すぐにほめてもらいたいと思います。なかなかほめてもらえなかったら、どうして自分はこんなに評価が低いだと怒りたくなったりします。しかしイエスさまはそんな人間の小さな評価よりも、「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」ということの方が大切だと言われます。そんな投機的な株主のようにすぐに報いを回収しようとするのではなく、長期的な展望に立って「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」ということを心に留めて生きていきなさいと、イエスさまは言われました。
「小さな良き業に励み、そして神さまに祈りをする」。小さな良き業に励むと言われても、わたしは悪人だから自信がないという方もおられるかも知れません。でも神さまは私たちを祈りによって変えてくださいます。神さまに毎日毎日お祈りをしていると、必ず神さまは私たちをつくり変えてくださいます。
私たちは祈りによって整えられていきます。ですから祈るということはとても大切なことなのです。私たちの神さまは願う前から、私たちに必要なものをご存じです。それじゃあ、祈る必要はないじゃないかと思えますが、それは違うわけです。私たちが祈ることによって、私たち自身が整えられていくのです。自分勝手な願いをする私たちから、神さまの御旨を求めていく私たちへと整えられていくのです。
「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」。私たちに報いてくださる神さまを信じて、そして小さな良き業に励む。祈りながら、神さまが私たちを整えてくださることを信じて歩んでいく。お一人お一人の歩みを、神さまは豊かに祝福してくださいます。
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