2016年1月17日 主日礼拝 説教要旨
「あなたを『岩』と呼ぶ」大澤宣牧師(紫野教会)
(ヨハネによる福音書1章35~51節)
私が働かせていただいております紫野教会は、1944年、戦争のために教会の人々が動員されていき、教会は閉鎖されてしまいました。その時、同志社教会の牧師であった堀貞一牧師は「教会をやめるとは何ごとか」と一喝され、熱烈な祈りがささげられたそうです。順調に教会の働きがすすめられることも主の恵みの内にあり、教会が閉じられ、何も出来なくなっていき、けれどもそこで祈りがささげられることも主の恵みの内にあるのだと思います。
イエスの弟子たちが集められた場面で、イエスはペトロのことを「岩」と呼ぶことにしようと語りかけられました。それは、ペトロや他の弟子たちが、何か良い行いをしたとか、優れた力をもっているからではありません。何も出来ないかも知れないけれども、とにかくイエスに出会わされ、イエスに招かれて、用いられていったのでした。
阪神淡路大震災から21年の時を迎えます。今も流れない時の中をゆっくりと生きている方々がおられることを思います。地震で全壊した神和教会は、教会の土地を使って、子どもたちの夏期学校を行い、多くの子どもたちと全国から集まったボランティアの人たちと、すばらしい出会いを経験されたのでした。 何も良いことは起こらない、何も出来ないかも知れないと思われるところに、しっかりと立ち続けることの中で、主が豊かに用いてくださり、すばらしい出会いが与えられたのでした。
新しい年の歩み、私たちがどこでイエスに出会っていくのか、それぞれ問われながら、主の招く声を聞いてまいりたいと願います。
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