2016年8月7日
主日礼拝説教要旨
「あなたがたは神の宮である」宇野稔牧師
(コリントの信徒への手紙Ⅰ3章1〜9節)
戦争が世界のどこかで絶え間なく続いていることを考える時、「何かの力によって戦うよう仕向けられているではないか」と思っています。その誘惑と力は私たちの中にも存在するのです。
今日の箇所で描かれているのはコリントの教会の中での「派閥争い」です。パウロにつく、アポロにつく、この二大勢力の対立も激しかったのでしょう。そこでパウロは「アポロとは何者か。私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さるのは神である」と云うのです。
神がこの教会を育てておられるのに、争っているのは本当に情けないことだ。パウロはキリスト者とは聖霊によって生きる「霊の人」であるべきなのに、他の人と何ら変わらない「肉の人」ではないかと叱るのです。
私たちは誰のために生きているのでしょうか。パウロは人々が生きるのは「神のため」であると云うのですが、そうだと窮屈な気がしてしまいます。自分は自分らしく生きてこそ、価値が有ると考えたいですし、またそのために生まれて来たと思ってしまいます。
しかし人間は「自分のため」に生きているのでしょうか。時間と富を思う存分使って自分の楽しみだけを求めて生きたその結果、幸福になることはできるのでしょうか。私たちの周りで幸福そうに生きている人が増えたでしょうか。昨今、多くの高齢者、若者、女性、子どもが「孤独の中で苦しんでいる」という事件が多発しています。孤独は大人だけではなく確実に広がっているのです。犯罪を生み出す悲しみがなんと多いことでしょうか。
けれども私たちが神のために力を合わせる時、あなたたちの人生は、実り豊かな畑であると云われます。イエスは「平和を実現する者は幸いである」と云います。世の中の諸悪の大きさを考える時、「自分一人がやっても」という思いになりますが、最悪の時代の中でも神の言葉に心を傾ける人がいる、それが平和への希望なのです。
どんな時代にあっても平和を実現しようと祈り志している人がいます。それが平和を生み出す原動力なのです。私たちは神の宮です。「成長させて下さるのは神です」、信じて歩みましょう。
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