2018年2月5日月曜日

2018年1月21日

2018年1月21日 降誕節第4主日礼拝説教要旨
  「質素に」 桝田翔希伝道師
  マタイによる福音書 6:25~28節
12月の初め、家の冷蔵庫が壊れました。変な音がしていてどうしたんかなぁと思い2~3日様子を見ていたのですが、冷凍庫の氷が溶け出してしまいました。新しい冷蔵庫を買わんといかんなぁとは思ったのですが、今週買いに行こうと思いながら1ヶ月が終わってしまいました。結局、今でも冷蔵庫なしの生活をしているのですが、無くても案外生活できるなぁと思っています。
さて今日の聖書箇所では思い悩まずに、私たちの周りに普通に生きている鳥や、普通に生えて咲いている花をよく見なさいと語られています。考えてみますと、私たちは2000年前の人たちと変わらないような悩み事も抱えていますけれども、それ以上に多くのことで自分をよく見せよう、着飾ろうとして悩んでいるようにも思うのです。私たちの生活は2000年前に比べて非常に便利になりました。車や携帯、様々なもののおかげで私たちの生活は非常に便利なものになりました。しかし、便利なもので着飾るような生活のなかで私たちの生活は逆に「余裕」がなくなってきたように思います。そもそも私たちは野の花や空に飛ぶ鳥を眺めるような時間や心の余裕を持っているのでしょうか。冷蔵庫がなくても電気を使わないエコな生活ができると思いましたが、結局のところ自動販売機やコンビニと言った電気を使ったものに頼り切っている自分に気づきました。私たちの生活は、公害などの人の悲しみを含みながらも、ある程度後戻りできないようなものになりつつあります。着飾らない質素な生活はとても難しい生活なのではないでしょうか。
この聖書箇所では長々と思い悩まないようにと奨めていますが、最後に神の国と義を求めなさいと要約されています。一見すると難しいことを求められているようにも思いますが、野の花を見よという言葉と並んで語られていることに意味があるのだと思うのです。野の花を見るように、そんな自然な姿で、日々神に向き合いなさいと奨めているのではないでしょうか。空を飛ぶ鳥を仰ぐように神を思う生活を送りたいものです。

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