2019年7月15日月曜日

2019年7月7日

2019年7月7日 聖霊降臨節第5主日礼拝説教要旨
  「大きな丸太が目の中から」 小笠原純牧師
    マタイによる福音書 7:1~5節
今日は敬愛する平安教会の皆様と共に、礼拝を守ることができ、とてもうれしく思います。7月1日(月)から平安教会での歩みが始まりました。わからないことだらけですので、桝田翔希伝道師にお聞きしながら、いろいろなことを始めております。
わたしは16年ほど前まで、四国の伊予小松教会という教会の付属の保育園で、園長をしていました。キリスト教主義の保育園でしたから、目を閉じてお祈りをするということがありました。お祈りの歌を歌ったあと、お祈りをします。保育士の先生がお祈りをし、そしてお祈りが終わったあとに、先生のところにやってきて、「先生、聖子ちゃんが、お祈りのとき、目をあけていました」と教えてくれるこどもがいます。先生は言います。「ほんと?。教えてくれて、ありがとう。でもどうして聖子ちゃんがお祈りのとき目を開けていたって、明菜ちゃんにわかったの?」。
イエスさまは「人を裁くな」と言われました。人を裁くとき、あなたも同じようなことをしていることがあることに気づきなさい。そして「自分が裁くと、人もあなたを裁く」と言われました。裁きの世界に生きている限り、互いに裁きあい、傷つけ合うだけだと、イエスさまは言われました。
ヤコブの手紙5章15節には【信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます】とあります。「主が赦してくださるのです」。ですから私たちのすべきことは、裁くことではなくて、祈ることです。
イエスさまは「人を裁くな」という話をされたときに、「まず自分の目から丸太を取り除け」と言われました。もちろん人の目の中に丸太があるわけはありません。イエスさまは「裁くな」という深刻な話をするときに、ちょっと極端なことを言って、話の場を和ませたのです。正しいことを言うときは、少し配慮をしなければならないと、イエスさまは私たちに教えておられるのです。このことも大切なことだと、わたしは思います。
人を裁いたりすることの多い私たちです。しかし自分の目の中に丸太があるのではないかと思う、謙虚な気持ちを忘れることなく、歩んでいくことができるようにと、神さまにお祈りいたしましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿