2019年7月21日 聖霊降臨節第7主日礼拝説教要旨
「一人一人が生き生きと」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 28:16~20節
学生のときに聞いた天国に関する小噺によると、天国に入るときは天国の門の前で自分の罪を思い出し、悔い改めながら、自分の犯した罪をチョークで書いていくそうです。(小噺省略)。みなさんは天国に行くときに、だれが天国に連れていってくれると思っておられますか。わたしを天国に連れていってくれるのは、信徒の皆さんだと思っています。わたし自分を天国に連れていってくれる人と一緒に、教会生活を送っていると思っています。
神さまによって、ひとりひとりが召されています。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」という言葉は、教会に集うひとりひとりに語られています。そして「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という言葉は、ここに集うひとりひとりに語られているのです。
わたしがこうなればいいなあと思う平安教会のイメージは、こうです。ペトロとヨハネが天国で、平安教会の話をしています。「ああ、平安教会か、あの教会はええ教会やねえ」。「ほんと、あの教会はええ教会や」。「平安教会には、信徒のAさんがおるわ。あの人は熱心や」。「そうそう、平安教会には、信徒のBさんもおるわ。りっぱな人や」。「あ、それから信徒のCさんも平安教会や。あの人の信仰には頭がさがるわ」。「ああ、Dさんもおるわ。あの人はほんとに謙虚な人や」「そうや、平安教会はええ教会だから、平安教会の牧師のところに、天国から贈り物をしようよ」。「そりゃ、ええ考えや。さすがペトロさん、ええこと言うわ。グッド、アイデアや」。そして使徒ペトロが、最後に使徒ヨハネに尋ねます。「それは、そうと、平安教会の牧師って、だれっだけ?」。
この話は天国での話ですが、現実に世界でも、「平安教会の牧師の名前は知らないけれど、平安教会には信徒のFさんがいる」というような教会であってほしいと思います。もちろんわたしも「平安教会には、かっこよくて男前の牧師さんがおられる」というふうに言われるように、一生懸命にこころを込めて、伝道・宣教のわざに励みたいと思います。
教会は自由なみんなの広場です。ひとりひとりが自由に、そして生き生きと神さまから与えられた賜物を生かしてわかちあう、みんなの広場です。私たち一人一人、みんなが主役です。そしてひとりひとりが神さまに召された者として、共に尊敬しあって歩んでいきましょう。
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