2019年8月11日 聖霊降臨節第10主日礼拝説教要旨
「自分の弱さを受け入れる」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 9:51~62節
ヤコブとヨハネは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言いました。わたしはヤコブやヨハネのようなちょっと調子に乗った言葉を聞くと、なんか「ああ、この人たち、わたしとおんなじやなあ」と、妙に安心してうれしくなります。ほんとにいいかげんで、お調子者で、どうしようもない弟子たちです。
イエスさまたちは、サマリアの人々からは歓迎されませんでした。ユダヤの人々はサマリアの人々を差別して、蔑んでいました。サマリアの人々もまたユダヤの人々をよく思っていないわけです。ですからユダヤの人であるイエスさまを歓迎しませんでした。サマリアの人々を蔑む気持ちが、ヤコブやヨハネにあったからでしょう。ヤコブやヨハネは「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言いました。それでイエスさまはヤコブとヨハネを、「戒められた」のでした。
イエスさまは「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」という人には、「そんなこと言っても、わたしと一緒にきてもろくなことないよ」と言われます。しかしまた別の人に対しては、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と言われます。無理して気負ってイエスさまのところにやってきた人には、水をかけたのに、煮えきらない人に対しては、こんどは葉っぱをかけるのです。
人は自分の弱さを受け入れられないときに、自分に対しても、人に対しても「こうあらねばならない」という正しさを求めます。ほんとうに神さまにより頼むとき、神さまに罪ゆるされたと思えるとき、人は使徒パウロのように【自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません】(2コリント12章5節)と言えるのだと思います。神さまは私たちの弱いところに働いてくださるのです。
自分の弱さ、なさけなさ。ひきょうな自分、ずるい自分。それを強がったり、こうでなければならないという気持ちで、ごまかすのではなく、まず初めに自分の弱さを受け入れたいと思います。そして私たちの弱さを知った上で、招いてくださるイエスさまについていきましょう。私たちの弱いところに働いてくださる神さまに委ねて歩んでいきましょう。
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