2019年8月18日 聖霊降臨節第11主日礼拝説教要旨
「世界の中心で「自分は正しい」と叫びたい私」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 10:25~42節
大阪教区の総会議長をしていたとき、こちらの人からも、あちらの人からも、「それは違う」と言われることがよくありました。あんまり「それは違う」と言われ続けると、わたし自身も疲れてきて、「自分は正しい」と叫びたい気持ちに襲われるときがありました。世界の中心で「自分は正しい」と叫びたいときというのが、私たちにはあります。
私たちにとって大切なことは何なのか。永遠の命を得るためには何をしなければならないのか。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛すること。また、隣人を自分のように愛しなさい』。そして、いろいろなわずらいを超えて、ただイエスさまが語られる神さまのことを聞くこと。そのように聖書は、私たちに教えてくれています。
そのように教えられていることはわかるわけですが、わたしはこの「善いサマリア人」「マルタとマリア」という聖書の箇所を読みながら、自分を正当化しようとした律法の専門家の気持ち、またイエスさまに対して「何ともお思いになりませんか」となじったマルタの気持ちがとても気になりました。
律法の専門家やマルタはその後、どうしたでしょうか。世界の中心で「自分は正しい」と叫んだあと、部屋に帰って落ち着いたときに、彼女たちはどうしたでしょうか。「やっぱりイエスさまは大切なことを、わたしに必要なことを教えてくださった」と思い直しただろうと、わたしは思います。そして正しくないわたしを招いてくださる神さまがおられることに気づいただろうと、わたしは思います。
心が弱くなって、イエスさまの言われることを素直に受けとめることができないときが、私たちにはあります。「そんなこと言われたって、イエスさま、・・・・。わたしだけが悪いって言うのですか・・・」。しかし落ち着いて、祈りつつ歩むときに、イエスさまは私たちに永遠の命に通じる道を示してくださっていることに気づかされます。
正しくないわたしを招いてくださる神さまがおられます。「ぜったいわたしが正しい」との思いにとらわれて、高慢な思いになってしまうわたしを諭してくださる神さまがおられます。罪深い私たちを赦し、私たちに慰めを与えてくださる神さまがおられます。神さまは私たちを愛してくださり、私たちに永遠の命を備えてくださいます。
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