2019年8月4日日曜日

2019年7月28日

2019年7月28日 聖霊降臨節第8主日礼拝説教要旨
   「あなたの罪は赦された」 小笠原純牧師
     ルカによる福音書 7:36~50節
 田口ランディは「魂のコード」(「根を持つこと、翼をもつこと」、晶文社)というエッセーのなかで、自分のもつ弱さやずるさ、人としての冷たさを素直に書いています。
イエスさまがファリサイ派のシモンの家で食事をされた時、罪深い女と言われていた女性が、イエスさまの足もとに近寄り、泣きながらイエスさまの足に接吻して香油を塗りました。それをみてシモンは「この人が預言者なら、罪深い女が自分に振れていることが分かるはずだ」と思い、この人は大した人ではないと、心の中で決めつけました。
 わたしは「高みの見物としてのキリスト教」というものと、「わたしが赦される出来事としてのキリスト教」ということがあると思います。「高みの見物としてのキリスト教」は、キリスト教がどうであるかとか、イエスさまがどうであるのかということに関心があてられています。ファリサイ派のシモンは「高みの見物としてのキリスト教です」。彼は自分が高みにいて、イエスさまに対する評価を下します。
 もう一方の「わたしが赦される出来事としてのキリスト教」というのは、自分を救っていただきたいということ関心があてられています。罪深い女と言われていた女性は、「わたしが赦される出来事としてのキリスト教」です。この女性は自分の罪を悔いながら、イエスさまに救っていただきたいと思っていました。
 イエスさまは「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と言われました。わたしは自分の心の冷たさが嫌いです。「この冷たい固まりに触れると、世界が音を立てて凍ってしまうのではないかと思える、私の中にあるこの冷たい凍った固まりをどうにかしてほしい」という思いをもっています。
 イエスさまは罪深い女と言われていた女性に、「あなたの罪は赦された」と言われました。「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」を聞くと、ちょっと元気がなくなってしまうわたしですが、この「あなたの罪は赦された」という言葉には、大きな安らぎを感じます。この女性の罪を赦してくださった方は、わたしの罪をも赦してくださると思えるからです。
 私たちの神さまは、私たちの罪を赦してくださる神さまです。私たちはこのことを謙虚に、感謝をもって受け入れるものでありたいと思います。

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