2019年10月13日 聖霊降臨節第19主日礼拝説教要旨
「良いお金持ちになる方法」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 16:19~31節
和田洋一の「新島襄」によりますと、「幼いときから新島は貧乏のつらさに泣くことはなかった」そうです。新島襄は同志社の設立と運営のために一生懸命に働きます。その資金の多くは海外の教会や宣教団の資金によるものでした。新島襄は、良いことのために用いるのであれば、お金はだれから出してもらっても良いと思っていました。そして教会に連なる良い人々、良いお金持ちが新島襄を支えました。
今日の聖書の個所は「金持ちとラザロ」という表題のついた聖書の個所です。金持ちはこの世で良い暮らしをし、そして天に召されたあとは陰府で苦しんでいる。ラザロは世の世で苦しい生活をし、そして天国ではアブラハムの祝宴に招かれている。金持ちは自分の兄弟たちがこんなひどい目に合わないようにと、ラザロを遣わして兄弟たちに伝えてほしいとアブラハムに言います。しかしアブラハムは「モーセと預言者」(聖書)に耳を傾けていれば、このような目にあることはないと言いました。
神さまは私たちに命を与えてくださいました。今日も私たちは神さまから命を与えられて生かされています。その命はわたしが作り出した命ではなく、神さまから与えられた命です。どんな金持ちも自分の命を自分で作り出したわけではありません。その命は神さまから与えられたものです。そのことをわきまえないで、私たち人間は生きていくことはできないのです。私たちには金持ちになる方法が示されているのではなく、「良い」金持ちになる方法が示されています。
私たちはいつのまにか、自分が自分の力で生きているかのように思い込んでしまうときがあります。そして順調な時は得意になり、自分以外の人々が怠け者であるかのような気持ちになるときがあります。「自業自得だ、自己責任だ」と、恥ずかしげもなく語り始めるときがあります。私たちの時代の病は深く、世の中自体が神さまの御心に反することに対して、それこそが正しいことのような雰囲気が漂ってしまうときがあります。
しかしそれは正しいことではありません。人は神さまから命を与えられ、そして神さまから与えられた賜物を用いて生きていきます。そして互いに思いやりながら、互いに愛し合いながら、互いに寄り添いあって生きていく。それが、神さまが私たちに示しておられる歩みであり、祝福された良き歩みなのです。
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