2020年1月20日月曜日

2020年1月12日

2020年1月12日 降誕節第3主日礼拝説教要旨
  「世の罪を取り除く神の小羊」 小笠原純牧師
    ヨハネによる福音書 1:29~34節
 小羊はキリスト教のなかでよく用いられたシンボルです。迫害のなかで十字架の像を広めることのできなかった初期のキリスト者は、その代わりに小羊の像を用いたりしました。イエスさまと初めて出会ったバプテスマのヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言ったと、ヨハネによる福音書は伝えています。
 イエスさまは十字架によって殺され、天に召されました。しかしそのなきがらは、兵士によってはずかしめられます。なんともむごたらしい話です。もう死んでいるのに、死んでいるのか確かめるために、イエスさまはわき腹を槍で刺されたのです。人間とはなんとも言えず、非人間的になることができます。私たちの世の中は、そういう世の中です。そうした悲惨な世の中で、イエスさまは世の罪を取り除くために、十字架につけられました。
 社会自体も罪の多い社会ですが、私たち自身もまた罪深いものです。「心を合わせて祈ろう」と言っても、いつのまにか心のなかに人間的な思いが出てきます。「あんなやつのために祈れるか」。そんなふうに思ってしまいます。「自分も神さまから赦されている罪人でしかない」。そのように思いつつも、思わず爆発してしまうので、「あの人だけは許せない」。大声で叫びたくなります。「あの人だけは許せない」。
 私たちは私たち自身で、私たちの罪を解決することなどできないのです。きれいになんかなれないのです。しかしだからこそ、イエスさまは世の罪を取り除く神の小羊として、私たちのところにきてくださったのです。だからこそ、わたしは世の罪を取り除く神の小羊、イエス・キリストを讃えたいのです。「この方こそ、世の罪を取り除いてくださる方だ。この方こそ、わたしの罪を担ってくださる方だ」。その思いはたしかな思いです。
 私たちの世の罪を取り除く神の小羊が、私たちと共にいてくださる。私たちは自分の罪のゆえに、自分で自分をどのようにすればいいのかわからないけれども、しかし私たちとともに、イエスさまはいてくださるのです。
 神の小羊イエス・キリストがたしかに、この世の罪を取り除いてくださるのです。私たちはこのことを信じて、この方に依り頼んで歩んでいきましょう。世の罪を取り除く神の小羊、イエス・キリストをほめ讃えましょう。

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