2020年2月9日日曜日

2020年2月2日

2020年2月2日 降誕節第6主日礼拝説教要旨
  「とけていく社会に抗して」 小笠原純牧師
    ヨハネによる福音書 2:13~25節
 二人の娘たちが小さいころ、一緒に積み木で遊ぶということをしていました。積み上げていくということは、希望のわく作業です。私たちの社会のイメージというのも、いろいろな良くないことを良いものに変えて、そして良き社会を作り上げていくという、ある意味、積み木に似たような感じがあるような気がします。
 わたしはここ十数年で、日本の社会は大きく変わったような気がしています。わたしの感覚では、悪くなった気がします。以前は個別の政治家の資質の問題であるのではないかと思ったりしていたのですが、社会全体がもうすでに大きく変わってしまい、倫理的な基盤そのものが、失われてしまっているような気がしています。政治家の心ない悲しい振る舞いをみるときに、わたしは「私たちの社会がとけていく」というふうに思います。私たちの社会はとけていっているのです。壊れていくのではなく、とけていくのです。
 この神殿で商売をしている人々を神殿から追い出されたという出来事は、とても象徴的な出来事です。神さまに献げ物をする、そうした場所さえも、この世的な価値観に支配されてしまっているということを表している出来事が、神殿での商売ということでありました。
 イエスさまは羊や牛を神殿の境内から追い出しなら、私たちの問うておられます。「あなたたちは本当に、神さまのみこころに反した社会で良いのか」。イエスさまは両替人の机をひっくり返しながら、私たちに問うておられます。「あなたたちは、あなたたちの社会が、このままどんどんととけてしまってよいのか」。
 私たちはこころの弱い者ですけれども、とけていく社会に抗して生きていきたいと思います。私たち自身が良き歩みを求めて生きたいと思います。とけていく社会を変えていく唯一の方法は、私たちがまっとうに生きていくということです。うそに満ちている社会においてどのように生きるのか。人をさげすむようなことが広がっている社会でどのように生きるのか。人にいじわるをしておもしろがる社会でどのように生きるのか。
 それは、うそはつかない。人をさげすむようなことはしない。人にいじわるをしない。私たちクリスチャンは、そうした当たり前の倫理的な歩みを大切にしたいと思います。イエスさまが歩まれたように、愛に満ちた、やさしさに満ちた歩みを求めて歩んでいきましょう。

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