2020年2月3日月曜日

2020年1月26日

2020年1月26日 降誕節第5主日礼拝説教要旨
  「祝福された時を共にする」 小笠原純牧師
    ヨハネによる福音書 2:1~11節
 歴史学者の小島道裕さん(国立歴史民俗博物館)によりますと、一揆とは「同じ目的で意思を統一した人々が集団を結ぶことを意味してい」るのだそうです。一揆ということで大切なのは、志が同じであるということです。身分が高いとか低いとか、が大切なわけではありません。そうしたことを形に表すために、作り出された書式形式が円卓会議方式だと言われています。真ん中に、「まる」を書いて、そのまるに沿って、名前を書いていく方式です。
 一揆というのは、私たちの教会のあり方とよく似たものだと思いました。私たちはイエス・キリストの恵みを大切にするという目的で集まり、そして集まった私たちの中では、だれがえらいとかそういうこととではなく、みんな神さまに等しく恵みを受けた人として集っています。そして私たちは、イエスさまが言われたことを行なうということを大切にして、自分がしたことで、周りの人々から「すごいね」と言われることを求めるわけではありません。  
 イエスさまが最初の奇跡を行われたのが、ガリラヤのカナで開かれた婚礼であったと、ヨハネによる福音書は記しています。それは、幸いはイエスさまからやってくるということです。婚礼というとても幸いなときに、イエスさまが最初の奇跡を行われるのです。
 そして、私たちはイエスさまによって祝福された時を共にするという恵みに招かれているということです。【このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかった】。召し使いたちはイエスさまから言われて、水を大きな水がめに入れて、それを世話役のところに運んで行ったので、それがぶどう酒になったことを知っていました。召し使いたちは周りの人々から誉められるということはないのですが、しかし召し使いたちは、イエスさまによって祝福された時を共にしているのです。
 カナの婚礼の召し使いたちがそうであったように、私たちもまた、イエスさまによって祝福された時を共にしているのです。私たちはイエス・キリストこそ、私たちの救い主であり、私たちの希望であることを知っています。イエスさまが教えてくださったので、私たちは私たちが神さまの民としての大きな祝福を受けていることを知っています。イエスさまによって祝福された時を共にして、イエスさまに従って歩んでいきましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿