2020年6月7日 聖霊降臨節第2主日礼拝説教要旨
「聖霊に守られて」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 14:8-17節
ソニーの創業者の井深大は、日本基督教団富士見町教会で洗礼を受けたクリスチャンです。学生のときは早稲田大学の近くの友愛学舎というYMCAの寮に住んでいました。「たとえその人員はわずかで、その施設は乏しくとも、その運営はいかに楽しきものであり、その成果はいかに大であるかを考え、この理想を実現できる構想を種々心の中に描いてきた」(『東京通信工業設立趣意書』井深大起草)というのは、なんとなく教会的だなあと思います。
「身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受けることだけが、この苦境を乗り越える第一歩となる」という「小商いのすすめ」(平川克美)は、クリスチャンの歩みに似ています。「こつこつと福音の種を蒔き続ける」「自分のできる良いことを誠実に行っていく」。クリスチャンは「小さな良き業に励む」ということに尽きると、わたしは思っています。
ペンテコステ、弟子たちに聖霊が降り、神さまのこと、イエスさまのことを宣べ伝え始めました。聖霊は私たちにも降り、私たちは聖霊に満たされて歩みます。聖霊に満たされるというのは、神さまが私たちの内におられるということです。よく考えてみると、それはなんともうれしいことです。神さまが私たちの内におられるのです。
神さまが私たちの内におられるということは、神さまが人間を創造されたときに、もうすでに神さまがご計画なさっています。創世記2章7ー8節にはこうあります。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。人は神さまの息が宿ることによって生きる者となりました。まさに神の息である聖霊が宿ることによって、人は生きる者となったのです。
聖霊に守られて、小さな良き業に励みましょう。神さまは私たちを豊かに祝福し、私たちに必要なものを備えてくださり、私たちを神の民として用いてくださいます。
0 件のコメント:
コメントを投稿