2020年5月24日 復活節第7主日礼拝説教要旨
「わたしの渇きをいやしてくださる方がおられる」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 7:32-39節
新型感染症のためマスクをしている人が多いと思います。これからの季節、熱中症にも気をつけなければなりません。熱中症は自分が気づかないうちに、熱中症の状態になってしまいます。熱中症は、渇いていることに自分が気づかないのです。「渇いているのに気づかない」というのは、熱中症の場合だけでなく、人は自分の心の渇きということについても、なかなか気がつかないということがあります。
ファリサイ派の人々や律法学者たち、ユダヤ人たちは、自分たちが渇いているということに気が付きませんでした。イエスさまから「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることができない」と言われ、そして彼ら自身も「イエスは遠くに逃げていくのか」というようなことを言っています。しかし同時に、彼らは「その言葉の意味はどういう意味なのか」と、イエスさまの言われた言葉が、すこし気になるということを言っています。ちょっと気になるのです。イエスさまの言葉を拒否しているにも関わらず、しかし彼らもまたイエスさまの言葉が気になるのです。それは彼ら自身が「渇いている」からでした。
イエスさまは「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」と言われました。イエスさまは「だれでも」と言われます。あなたはファリサイ派の人だからだめだとは言われない。あなたは律法学者だからだめだと言われない。もしあなたがた「わたしは渇いている」と気づいたのなら、「だれでも」わたしのところに来て飲みなさいと、イエスさまは言われました。「あなたの内から生きた水が川となって流れ出るような世界があるのだけれど、あなたはその世界に来ないか」。「あなた自身もあなたの周りの人々もみんな渇くことがない。あなた自身が神さまの良き泉となって、人々の渇きをいやすことができる。わたしのところに来て、永遠の命へ至る水を飲まないか」。イエスさまはそう言って、私たちを招いておられます。
わたしの渇きをいやしてくださる方がおられます。イエスさまの招きに応えて、イエスさまを信じて歩んでいきましょう。
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