2021年3月19日金曜日

2021年3月14日

 2021 年 3 月 14 日 受難節第4主日礼拝説教要旨

    「この方についていく。」 小笠原純牧師

     マタイによる福音書 17:1 ー 13 節

 冬の終りから、すうっと新鮮に素朴に美しく現れてきて、まるで流行や商売や政治の手練手管など何ひとつ存在しなかったかのように、じっと守られていた草むらの陽あたりのいい片隅からー曙のように無垢で金色で穏やかに春の初咲きのタンポポが、その信頼しきった顔を見せる。「初咲きのタンポポ」(「ホイットマン詩集」より)初咲きのタンポポのような、素朴で、うつくしく、穏やかに、そして人を信頼した歩みができれば良いなあと思います。イエスさまは初咲きのタンポポのような方だったような気がします。律法学者やファリサイ派の人々などの手練手管のある人たちに囲まれながら、それでもイエスさまはそうしたものに流されることなく、神さまの愛を素朴に語られました。頼りになる弟子たちではないですが、それでも弟子たちを信頼し、自分のあとを弟子たちに託されました。人を愛し、人を信頼し、そして神さまが計画された十字架への道を、イエスさまは歩んでいかれました。

 「イエスの姿が変わる」という表題のついた今日の聖書の箇所は、人間の考える栄光と、神さまが示された栄光について語っています。使徒ペトロたちは神々しいイエスさまの姿が栄光だと思いました。しかし神さまが示される栄光は、そうしたものではありませんでした。神さまが示された栄光は、イエスさまの十字架です。洗礼者ヨハネが人々から苦しめられて、ヘロデ王によって殺されたように、イエスさまもまた人々から蔑まれ、私たちの罪のために十字架につけられる。

 使徒ペトロたちは光り輝く雲に包まれたとき、雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」との御声を聞きます。そしてその言葉どおり、モーセとエリヤは去り、イエスさまだけが使徒ペトロたちの傍らにおられるのです。人間の栄光は消え去り、神さまの栄光だけが残るのです。聖書は私たちに「これに聞け」と言います。わたしの愛する子、わたしの心に適う者である、イエスさまの言葉を聞きなさい。

 御声に聞き従い、イエスさまについて行きましょう。


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