2021年4月15日木曜日

2021年4月11日

 2021年4月11日 復活節第2主日礼拝説教要旨

   「信じられない弱さを抱えて」 小笠原純牧師

     マタイによる福音書 28:11-15節

 イエスさまがよみがえられたことを記してある復活の記事は、四つの福音書にそれぞれの形で記されてあります。マタイによる福音書は、復活の出来事を素直に信じて、そしてその喜びを謙虚に伝えていくということの幸いを、私たちに教えてくれています。

 イエスさまが十字架につけられたあとの弟子たちの歩みを考えるときに、それはイエスさまの復活がなかったとは考えられない歩みです。イエスさまが十字架につかれたとき、イエスさまを裏切り、ばらばらになった弟子たちが、キリスト教を広めていったのです。そういう意味において、復活は確かにあったと言えるわけです。けれどもだからといって、復活を証明できたということにはなりません。復活を証明することは不可能なのです。

 わたしは、マタイによる福音書28章17節の聖書の箇所が好きです。【そしてイエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた】。ひとつにはこの聖書の箇所を読むと、「おー、わたしが出てきた」というふうに思うからです。「わたしのことが聖書に記されているなんて、光栄だ」というふうに思います。そしてもうひとつには、「なんや、わたしのような信仰の弱い人は昔からおったんや」と、妙に安心するからです。

 復活は神さまの出来事です。神さまの出来事は、私たち人間を越えて働きます。私たちが信じようと信じまいと、そんなことには関係なく、神さまの出来事がなされるのです。弟子たちがイエスさまの復活を信じることができたのは、イエスさまが弟子たちのところにやってきてくださったからです。弟子たちもまた「信じられない」という弱さを抱えて生きていました。しかしイエスさまからのお働きによって、信じる者とされたのです。そしてなかなか信じられない人々もいたのです。しかしそうした人間の側の弱さを越えて、神さまの働きはなされるのです。

 自分の不信仰を嘆くのではなく、不信仰な私たちを憐れみ、愛してくださる神さまに希望をおいて歩んでいきましょう。私たちは神さまのことを忘れてしまうかも知れませんが、しかし神さまは私たちのことを忘れることはありません。


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