2021年4月4日 復活節第1主日礼拝説教要旨
「希望に変わる朝」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 20:1ー18節
イースター、おめでとうございます。主イエス・キリストのご復活を心からお祝いいたします。イースターの出来事は人間が負け、そして神さまが勝利された出来事です。人間は負けたのです。人を辱めることによって、自分をはずかしめ、力を合わせて生きていくのではなく、人をおとしめることによって生きていく道を、人間は選んでいくのです。しかしそうした希望のない人間に対して、神さまはイエスさまを復活させてくださり、そして私たちの希望の光としてくださったのです。
受難物語や復活物語をよむときに、「人間って、だめだな」ということを思わされます。復活物語は、イエスさまがよみがえられたことを弟子たちがすぐに信じたというようなことが記されているわけではありません。信じられない人間の姿が描かれています。しかしこの「人間って、だめだな」ということがとても大切なことなのだと思います。
将棋やチェスのようなボードゲームには、最後までゲームをするのではなく、「投了」という形で負けを認めるということがよく行なわれます。負けている側が「負けました」と言って、ゲームを終えるわけです。そして将棋などではそのあと「感想戦」があるわけです。行なわれたゲームをふりかえるのです。しっかりと負けを認めて、そしてどのような負けであったのかということを振り返ることによって、新しい歩みが始まるのです。
イエスさまの遺体がないことに混乱し不安になったマグダラのマリアは泣くしかありませんでした。しかしそののち、天使たちに出会い、そして園丁のように見えたイエスさまに出会い、そしてイエスさまから「マリア」と声をかけられ、よみがえられたイエスさまに気がつきます。そして最後にはっきりと、マグダラのマリアは「わたしは主を見ました」と弟子たちに告げたのです。
その「わたしは主を見ました」とのきっぱりとしてマグダラのマリアの声に、私たちは希望の朝があることを知るのです。イエス・キリストが私たちのためによみがえってくださり、希望の朝をもたらしてくださるのです。私たちを赦し、私たちを励まし、そして私たちをもう一度立ち上がらせてくださるのです。
イースター、よみがえられたイエスさまと共に、安心して歩んできましょう。主イエス・キリストは私たちを見捨てることなく、私たちと共に歩んでくださいます。
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