2021年5月21日金曜日

2021年5月16日

 2021年5月16日 復活節第7主日礼拝説教要旨

   「生きた水を求めて」 生田香緒里牧師

    ヨハネによる福音書 4:7ー15節

 フォークダンスの「マイム・マイム」は、掘り当てた井戸の周りで輪になって踊り、「マイムマイムマイムマイム、ウ、マイム、べサッソン」と歌いながら井戸に向かって駆け寄っていく様子を表現しています。ヘブライ語で「マイム」は「水」、「べサッソン」は「喜びのうちに」という意味です。その歌詞には、『イザヤ書』12章3節の「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」という言葉が使われています。

 イスラエルの土地は半乾燥の気候で降水量が少なく水は貴重でした。古代から、泉のある場所に街を作り、泉がなければ井戸を掘って水を得ていたようです。「マイムマイム」の歌詞は、神の恵みを水にたとえ、「神との出会い(恵み)は、砂漠の民が水を得るように喜ばしい」という神への感謝を表しています。

 今日の聖書では、井戸が舞台になります。その井戸はヤコブの井戸と呼ばれ、その昔、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあるシカルというサマリアの町にありました。サマリア人とユダヤ人とは宗教的・民族的なことで敵対関係にありましたが、イエスはサマリアに神さまの愛を伝えに行きました。イエスは旅の途中で疲れて井戸のそばに座り、水と食料を必要とした時に、サマリアの女が人目をさけるように正午に水汲みにやってきます。イエスはその女に水を飲ませてくれるよう頼みますが、女は躊躇します。そして、イエスが永遠のいのちの水について語ったことで立場が逆転し、女はイエスに水を飲ませてほしいというのです。

 イエスは人格を尊重し、相手を信頼します。女は人間に対する信頼と愛を失い、彼女自身、自分が他者から愛されたり、信頼されたりすることが出来るとは思っていませんでした。イエスがもう一度水を飲ませてほしいと言うことによって、彼女は隣人に愛を与えることのできる者とされ、そうなるように期待されていることに気づくのです。弱く助けが必要な姿でイエスが女に接した時に、彼女に新しく立ち直る機会が与えられたのです。

 私たちは、自分が傷つき苦しんでいる時、心に壁を作って、心を閉ざしてしまうことが多くあります。それは、心を開くことによって、また傷つけられるかもしれないという恐れから、そうしてしまうのかもしれません。私たちの心の壁を取り払い、私たち一人一人を愛し、大切にしてくれるのがイエスです。その愛に触れた時に、私たちは凍った心を解凍し、人にやさしくすることが出来るのです。イエスの愛で満たされた時、私たちの心から愛があふれ出ます。イエスに向かって、一人一人が心を合わせる時、何事でもできるのです。本当に大切なものを見いだし、平和を作り出すことができるのです。そのような生きた水であるイエスの愛を求め続けて、歩んでいきたいものです。


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